春のプランターを整理した

 駐車場の横に3つの細長いプランターを置いていた。そのうちのひとつは駐車場の後ろに移動し、植えていた一年草ネモフィラを抜き、多年草カワラナデシコだけを残した。
 あと2つあるプランターのひとつを今日は整理した。植えていたヒヤシンスの球根を掘り起こし、花が終わったビオラの苗を引き抜いた。培養土をぜんぶ出して乾かすために新聞紙の上にひろげた。プランターの底から蟻が無数に現れ、土全体にひろがったので蟻用の殺虫剤を土に振りかけた。
 使い終わった培養土は日に当てて乾かし、腐葉土や肥料などを混ぜて再利用する。野菜を栽培できるほど大きなプランターに再生した培養土を入れて、百日草の種をまく予定。昨年の夏もこのプランターで百日草を育てたので同じようにするつもり。
 もう一つのプランターには朝顔の苗を植えるつもり。何日か前に蒔いた朝顔の種から芽がたくさん出てきた。黄色みを帯びた緑色の子葉が土からむっくりとしわくちゃな顔を出し、一日もたてばしわがのびて葉っぱが大きくなる。
 午前中、犬に関係したメールが2本あった。ひとつは柴犬の女の子(10歳)の飼い主さんがケアハウスに入ることになり、里親をさがしているというメール。もうひとつは白い犬の里親が決まったというメール。里親をさがしているので時間があるときに柴犬に会いに来ないかといメールには今回は遠慮したいと返事した。里親が決まったというメールには良いご家族が見つかって良かったですね、白ちゃんの幸せを祈りますと返事した。
 自分のこころのなかとは関係のないことばで生きているような妙な一日だった。最近ずっと疲れているいるような気がする。からだの疲れというよりこころの疲れ。老犬ももこのことを思い出して何度も泣いた。ももこをこの家に迎え入れたことを後悔していないが、また同じような年とった犬を飼ってみないかと言われたらことわると思う。実はなんで、ももこの里親になろうと思ったのか現在のわたしには不思議に思えるところがある(後悔とは違う)。あのときは、ももこに老いた柴犬レオの面影を重ねたのである。だからももこを家に迎え入れた。ももこがわが家に来た時、少しのためらいもなく、玄関から上がってきたのを見たとき、うれしかった。ここはわたしの家よと言っているようで。わたしのそばに何のためらいもなく近づいてきてわたしの腕に抱かれたこともうれしかった。また、ももこには里親候補だった家族から見放されたというかわいそうな出来事もあり、そのことに同情した。保護されたとき平常の体重の半分以下である5㎏しかなかったという話しにも同情した。
 白い犬がわが家に来た時、玄関の外で警戒する目つきになり入ろうとしなかった。保護した愛犬家の方が抱いて家に入れたのである。そういう白い犬を見てこの犬はわたしの愛犬とはならないかもしれないなと思った。頭がよくおとなしい性格で、きれいな顔と体つきをした犬なのできっといい家族が見つかるだろうと思ったがわたしには縁がないように思えた。寂しいことではあるが。


 玉葱を切ったためとも思へない涙ながして焼きうどんつくる


鉄砲百合のつぼみが少しづつ大きくなってきた
この花梅雨の時期に咲くことが多い


スブニール・ド・アンネフランクという名の薔薇