2日遅れて、父の誕生日のお墓参り

 曇ってときどき小雨がぱらつく天気。お昼近くにお墓参りに行った。26日が亡くなった父の誕生日だが雨が降っていたので行けなかった。昨日は生け花教室があり行けなかった。
 晩秋の墓地には人の影はないが、きれいな花が供えられたお墓が目立った。気候が良く、花が長持ちするためかもしれない。
 飛行機のかすかなエンジン音と、野鳥のさえずりだけが聞こえる、閑散とした墓地は呼吸が伸び伸びできるような安らかさがあった。死者は何も言わないのがいい。何の要求も言わない、その慎ましさに心が和らいだ。何の要求もできない、悲しさでもあるのだが。
 朝から気持ちがざわざわしていた。何の拍子かわからないが、亡くなった母が外から帰ってきて、玄関のドアを開けて入り、ドアが閉まる音を思い出した。日常の音なのでとりわけ記憶の残る音でないが、一度、記憶に刻まれるドアの音を聞いたことがある。その日はレオと自分の部屋にいた私は、仕事の電話をしていた。その相手とはスムーズに仕事が進まない状態で、電話で一方的にまくしたてられ、その攻撃的な口調にショックを受け、受話器を置くとき、世界が終わったような重たい気持ちになっていた。その時、母が家に帰ってきた。ドアの閉まる音がして、ああ帰ってきたんだなと思った。その音はずっと記憶に刻まれている。おだやかな性格の母は身体の動かし方もていねいで、慌ただしく動くということがない。そういう母の性格が現れる音だった。ドアを開けて、いつも使っているショッピングカートとともに中に入り、そっと扉を閉める。家に帰ってきた安堵もその音に含まれていた。
 この音を思い出してしまい、午前中は耳にこびりついていた。このこともお墓参りに行く理由だった。閑散とした墓地に身を置いて、なぜか気持ちが落ち着いてきた。耳にこびりついた音は静かに去って行ったような気がする。
 午後はちょこっと花壇の植え替え作業を。チューリップの球根5個と、アイリスの球根を5個、園芸品種の薄いピンクのマツムシソウスカビオサ)、黄色のビオラを植え付けた。


早稲田スコットホールギャラリーで明日29日から12月7日(日)まで
第3回東京の近代建築スケッチ公募展を開催
12月3日・4日は休廊
明日は午後5時よりオープニングパーティがあるので出席の予定


ソメイヨシノの木は葉がだいぶ落ちて空が透いて見えるようになった


裏庭の木槿の木も黄葉


手前の小枝をさしたところにアイリスの球根を
奥の小枝の所にはチューリップを植えた
その間に、マツムシソウビオラ


ドウダンツツジの紅葉