盆の入り

 昨夜は珍しく2時頃目を覚ましてしまい、眠れなくなり、起きて外に出た。真ん丸な月が中空に出ていた。今夜は満月だろうか。家の前の道路に出ると、お月様と対面するような位置になる。夜中に起きると良くないことを考えがちのわたしだが、静かな月の面差しに心がやわらいだ。できないことを数えるのでなく、できること、できたことに目を向けよう。失った存在やもの、事柄だけを考えずにあるものに目を向けよう。お月様のまなざしを感じながら、道路を行ったり来たりして、こんな気持ちに少しづつ変わっていった。〈誰かが見ていたらさぞかし変な人と思っただろう)。
 眠気が自然と湧いてきて、家に入りまた眠った。次に起きたのは6時半ごろ、朝から雲が厚く垂れこめ、晴天は望めそうもない。今日は梅の天日干しはあきらめよう。曇天の空が眺められる洋室で古いソファに座り、午前中は歌集を読んで過ごした。河野裕子さんの『家』という歌集だ。年齢は近い女性という共通点だけで、生まれも育ちも家庭環境も何もかも違う方だが、心の中に染み入ってくるくる歌がいくつもある。「この家に住み始めて、暮らしということを、しみじみと思い、味わうようになった。四季のめぐりの中の日々の暮らしのおもしろさ。家の壁や庭の草に射す朝光(あさかげ)夕光(ゆうかげ)のなつかしさ・・・・・・」〈あとがきより引用)
 昨年亡くなった柴犬レオを見守りながら、必要なこと以外はほとんど外出せず、家と庭で過ごしたわたしは、この本で出会った歌がなつかしくさえ感じられる。
 お昼近く、友だちより届け物があり、お礼の電話をしてそのまま1〜2時間の長電話になった。最後は家に出てきた大きな蜘蛛の話になり、蜘蛛がわたしを見て一目散に逃げた光景を話し、けらけら笑った後、また会おうねと電話を切った。
 夕方近くに墓参をして、今日は家に帰ってくるねと父母に話しかけた。墓参の後は父母の好物の揚げ物の準備.これも好物の枝豆を茹でた。準備も終わり、あとは迎え火をたくだけ。
居間では父の好きな巨人の野球放送をつけたままにしてある。居間では父母が座っていた席を二人のためにあけて、わたしはテレビが観にくい〈父母がいた頃の)自分の席に座ろうと思っている。レオはどこにいるのかな。やはり居間にしばらくいても早めにわたしとレオの部屋に行って、そこで横になるだろうな。わたしが居間から戻ってくるのを今か今かと待っているだろうな。

まだ明るいうちに玄関先で苧殻(おがら)を燃やして迎え火をたいた。風が強いので気になり、バケツの水を傍らに置いた。苧殻の熾火が風で飛ばされたが、すぐ水をかけて消した。迎え火をたくのも気を使ってしんみりするどころではなかった。蝋燭に火を移し、仏壇に持って行き、お線香をあげた。今日はレオの初盆だよ。レオもいっしょにいるよね。


2014年の盆棚
いつまでこういうことができるかわからないが、
今年はできたのでよかった
庭の桃と茗荷、天日干しを終えた梅干しをお供えした
レオの初盆なので、レオの写真も置いた