明治神宮歌会へ

 今日は月に一度、第4日曜に開かれる明治神宮歌会の日。10月は休会だったので、ふた月ぶりだ。
 近所に住む短歌の大先輩につきそって、明治神宮まで行った。高齢のため、誰かがいっしょに行った方がいいとのご家族の希望もあり、わたしもこの方と話しができればと思った。だが認知が少しずつ進んでいるため、昔のことと現在のことが交じりあう。そんな中でも、ふつうの会話ができることもある。
 歌会のお題(当座)は「葉」。先生は明治神宮の紅葉を見て、このお題を思いついたとおっしゃる。88歳になられる先生だが、とても若い感性を持っている方で、短歌についても発想のおもしろさを評価される。
 生徒さんたちの作品のレベルが高く、いままでは一読して優秀作、佳作あわせて10作を選んでいたが、今回は2回読みなおして選んだと言われた。会のしめくくりでも、前は箸にも棒にもかからない作品が見られたが今回はそういう作品がなく、明らかにレベルアップしている、皆さんの精進の賜物と言われた。ほめられて悪い気はしないが、まだまだ・・・・さらにレベルアップしたいな・・・・・。とはいっても、わたしにとって短歌は心をいやすためのもの。あのとき、こんなことを感じていたという記録でもある。心の中に住む柴犬レオとの会話を歌にしたい気持ちもある。楽しむことがいちばんとも思う。

 「気の早い柿の葉一枚色づいて秋から葉書届く思いする」
 「掃き寄せた桜の落ち葉は鮮やかに命の果ての輝きとなる」
 「葉の影が躍る廊下に目をやればいまなお眠るレオの幻」

昨年11月24日のレオ
庭で眠っている