昨夜は一か月に一回開かれる新宿の短歌教室に行った。
少し早めに家を出て、二子玉川のライズにあるアンテコ・カフェに入った。この店はよく入った店だが、最近は少し足が遠のいていた。二子玉川にはあいかわらずよく訪れるのだが、時間のゆとりや気持ちの余裕が足りないのか、カフェに入ろうという気持ちが薄れてきた。
久しぶりに入った。ほとんどひとりで利用してきた店だが一回だけ友だちと入ったことがあり、その時と同じ席が空いていたので座った。
その友だちと入ってから2年ぐらい経つ。その友だちと今、あるトラブルを抱えていて、悩むことが多い。こんなことを考えると時の過ぎたことがこころに沁みた。
大好きなフレンチトーストで腹ごしらえをして、あたかかい珈琲を味わった。
教室は6時半から始まるので、逆算して二子玉川駅から半蔵門線直通の田園都市線に乗った。小さな誤算があった。青山一丁目駅で都営大江戸線に乗り換えるのだが、仕事を終えた人たちで、大江戸線のホームが混み合い、さらに電車も混み合ってた。これを見て、ずっとおさまっていた人が怖い、狭いところに閉じ込められるのがこわいというパニック障害が戻ってきた。そんなには強くない症状だが、大江江戸線の横幅が狭い車内に人に押されるように乗ったとき、胸のあたりが圧迫される感じがあって、急いで降りた。
次の電車を待つことにした。ホームを移動して、人が少なそうなところを選び、次の電車はうれしいことに込み具合が少ない車両を選ぶことできた。すうーっと電車に乗ることができ、ゆったりめの車内にすぽっとおさまることができた。自分の居場所を確保できた思いだ。
電車を1本見送ったため、教室の開始時間にやや遅れた。いつもの教室だが、顔触れが少し変わっていて、間違ったかと思ったがそうでなかった。小池光先生はすでに教室にいらした。
新しい生徒さんが二名増えたのである。
この短歌教室は通うようになり、1年3か月たつがその間にやめていく人、新しく入る人がいて、これがかえって刺激になってわたしには楽しい。同じメンバーでずっとそのままというのは苦手である。ほどよい流動性こそわたしは愛する。
わたしもその流動性の一部である。
人数が増えて、ひとり2首、ぜんぶで36首の短歌を先生が講釈した。新しく入った方の短歌に興味がそそられ、わたしにとっても刺激となった。
教室が終わり、帰る方向が同じ方といっしょに途中までごいっしょした。都営大江戸線の都庁前駅から青山一丁目まで、同乗した。その方がアルバイトをしている美術館のチケットをいただき、うれしい驚きだった。美術館めぐりが大好きなわたしにとって、ぴったりはまったギフトだ。この美術館は一度訪れたことがある。
帰り道、今夜の教室を休んだ仲間に次回の教室の開催が1週間遅れることを伝えた。新しい人が2名参加したことも。
今日は朝から雨が降っている。昨日も夜から小雨が降りはじめ、その続きの雨である。
家にいて、明治神宮と源実朝公顕彰歌会に送る短歌を考えた。明治神宮は毎月送る題詠の献詠歌で、「銀」ということばを読み込んだ歌。源実朝公のほうは自由詠である。歌会の第一部の講演を歌人の三枝浩樹氏がおこなう。三枝氏は伊豆山の歌会で、選者の一人を務められ、源実朝公についての講演もなされた。また、お会いできるのが楽しみである。
夕方、明治神宮の献詠歌を葉書に書いて投函した。古い価格の葉書に22円切手を貼って。