12月26日(月曜)、あと5日で2022年が終わるなんて、現実感がなくて不思議な気持ちだ。暦が変わり、新しく2023年という数字がつけられたとしても、明日は今日の続きであることは変わらないのだが、わたしのなかでは2022年中に終わらせたいこともある。来年に持ち越したくない、みたいな感覚だ。
超ささやかなことだが、友だちに鎌倉に行った時の土産を買って、渡す機会がなくてそのままになっているのが今日は妙に気になった。気になり始めるとどうにもとまらなくなり、郵送で届けようと思った。
郵便局に行き、梱包のしかた(土産を入れた袋をそのまま活用できる)、価格を聞いて、家に帰り、送るべき友だちに送ろうと思っていると伝えた。
友だちは賞味期限が長いのでそんなに急ぐことはない、と返事をしてくれたが、来年のことはわからないから、とわたしは返信。
早く渡さなくては、と思うだけで心の負担なのである。解放されたいという思いが今日、急に湧き上がってきた。つまらないことでも気持ちを縛るものはなしにしたい、と言う思い。ほんとうはもっともっと解放されたいものがあるような気がするが、小さくて手放しやすいものから取り合えず手放していくことにした。
ラインのやりとりで友だちが住所を送ってきた。そうか、わたしはこの友だちの住所を知らなかった、と初めて気づいた(笑い)。送ろと心が焦っていても住所を知らないとは変なわたしだ。
住所を教えてくれてありがとうとラインを送り、日時の指定を聞いて、先ほど郵便局からもらってきた用紙に記入した。梱包は袋のなかに動かないように紙の丸めたものやクッション材を入れ、後は袋の入り口をガムテープで閉じるだけですんだ。
すぐ郵便局に行って、荷物を手渡し料金を払った。さよなら。これでひとつ懸案事項(?)が片付いた。ほんとうは友だちと会って、年内なら今年はどうだった?など話を交わし、新年なら今年はいい年にあんるといいねなど言いつつ、手渡すのがいちばんだがそうはできないわたしのこころの事情(それを負担に感じると言う)があって、できなかった。友だちには悪いことをしたような気持もややある。わたしが負担に感じることで相手にも負担を感じさせた、と思うから。
だが、ここで仕切ったのだからこれでよしとしたい。来年はあまり土産など買わないように気をつけたい。土産は相手に渡してはじめて土産となるのである、当たりまえだが、お互いの都合がつかず会えないこともあるので、宙に浮いた土産にならないように気をつけたい。
来年は名前も住所もできれば変えて、新しい自分として生きていきたい、くらいの気持ちがあって、そうはできないことはよくわかっているのだが、そのくらいの気持ちで生きていければいい。気持ちの問題である。
心だけでも自由に、新しい世界へ飛び立てればどんなにいいだろう。