源実朝の短歌に関する講演の記録をもう一度読み返す

 昨日から疲れがたまっているなと自覚。

 きれいな雲が浮かぶ初冬の空を眺めてもいつものようには元気になれない。

 これは家で休むしかないとコンビニにコピーを取りに行く以外は家にいた。

 コピーをとったのは歌友から借りている短歌誌「短歌研究」11月号で、中堅の歌人たちによるオンラインでの座談会を記録したもの。タイトルは「現代短歌史と私たち」である。穂村弘がコーディネーターで、大森静佳、川野里子、永井祐、東直子水原紫苑がラインで語り合う。

 参加者が誰の影響を受けているかを語るところで、東直子さんが永井陽子さんの名をあげていたことが興味をそそり、全文を読もうという気持ちになった。スモール・トークとビック・トークというくくりで短歌を見る見方を知り、源実朝はどちらなのかとも思った。当然、スモール・トークだろう。

 コピーをとりにコンビニに行く途中、友だちの家に寄って、庭から切った赤と黄色の千両と、鎌倉で買ってきたチョコレートがけのラスクをあげた。道で少しだけ立話をした。近所の大きめのマンションが取り壊しになり、友だちの家でも音や揺れが伝わってきたとのことだ。

 家に帰り、それからずっと家にいた。一昨日に鎌倉で源実朝の短歌について講演を聞いたが、ノートをとってあるので読み返した。実朝の歌集は『金槐和歌集』というが、この「金」は鎌倉の金偏をとり、「槐」はえんじゅの木のことで、中国では皇帝の庭に植えられた格式の高い樹で、右大臣までのぼりつめた実朝自身をあらわしているのだろうか。

 講演をなさった歌人の今野寿美さんはこの歌集を習作集(習作を集めたもの)と言われた。その2週間くらい前に聞いた歌人松平盟子さんの公開講座では『金槐和歌集』は藤原定家の教えを長年受けて来た実朝の卒業論文みたいなものと言われた。どちらも面白い見方で、どちらにも納得できるところがある。

 疲れがたまっているからだろうか。昼食後しばらくたってから横になった。眠りはせずに、ただ横たわるだけだが何やかやと考えているうちに涙が出てきた。と、スマホが鳴ってライン電話の呼び出しだった。

 蒲田で開かれる歌会の仲間からの電話で、昨日スマホのメッセージ(ショートメール)で送ったわたしの短歌が届いてないようだ。短歌が届いていないので12月の歌会は休むのかどうか確認の電話のようだ。昨日送りましたと伝えて電話を切ったが、念のため、ラインで同じものを送った。すぐ既読がついたので相手方に届いたようだ。

 今まで葉書を送っていたが、配達の時間がプラス一日かかるようになったので、別の送り方にしようと思い、今回はメッセージで送ったのである。まえもってメッセージに送ると伝えていないが、着信を知らせる音などで届けばかわるだろうと思ったが、わからなかったのか、それとも届いていなかったのか。エラーが出なかったので届いていると思ったが・・・・・。

 こんなことがあり、気持ちの切り替えというか、現実世界に引き戻されてよかった。