さわやかな風、夏のような空

 朝早く朝食のために買い物に出ると深い青空がひろがり、真っ白な雲が夏を感じさせた。
 空をときどき眺めながら歩いて夏がいちばん好きな季節だったことを思い出した。二匹の犬、一匹は初夏に、もう一匹は晩夏に死んでから夏が好きだという気持ちを封印したがやはり、夏の空は好きだと思った。
 ほとんど何もしないで過ごした日曜日。
 5日分の朝夕の新聞を読んだ。最近、新聞をその日のうちに読まなくなった。まとめて週末に読む生活をなんとか変えたい。新聞はその日のうちに。できれば朝刊は午前中に読みたい。
 亡くなった父は新聞を読んだ後、覚書なのだろうか、1面の見出しを手帳に毎日記した。父が残した手帳を読むと、生活の記録は少なく、新聞の見出しや好きなチームの野球の試合の勝敗が記録され、こうして毎日手帳に書くことが日記代わりになっていたのだろうと思った。
 洋室の窓から眺められる紫陽花の花がうっすらと色づいてきた。昨年は花数が異常に少なくて(もうこの紫陽花は枯れていくのか)と衝撃を受けた。その前の年の夏、老犬ももこの世話に明け暮れ、紫陽花の剪定が遅れたこと、また強く剪定したことがいけなかったようだ。
 今年は全盛期ほどたくさんの花ではないが昨年の5〜6倍の花が咲きそうだ。この紫陽花は室内から眺めることができるので晩年の母や父が「きれいだね」という言葉を残した、大切な紫陽花。どんな命も永遠ではないが、今年は咲いてくれそうなのでうれしい。ありがとう。

麦秋の村を走る単線の赤き電車に人影三人(みたり)

ドクダミの花群れ咲きてわれを見る小さき兵士のごときと思ふ