朝9時頃から雨が降り始め、さらに気温が下がり始め、冷たい雨の一日となった。
亡くなった母親が身の回りの物や、裁縫道具、取っておきたい手紙類、どこかに出かけたとき撮った写真など、ありとあらゆるもの(?)を仕舞っていた押入れがある。居間で母が生前座っていた席の後ろにあるのだが、今朝その押入れを何のためか覚えていないが開けた。すると壁際にほこりをかぶった半透明の袋が落ちていて、何だろうと思い、手を伸ばして取り、袋を開けると母の古い写真が3枚出てきた。年月日が印字されている。87年6月26日とある。友人と思われる女性と写っている母の後ろの風景をどこかで見たことがあると思った。菖蒲畑が奥のほうに続き、東屋が小さく写っている。昨年6月に訪れた明治神宮御苑に似ている。
母が書いた家計簿&日記が一冊だけ残っていて、それが87年のものであることを思い出した。取り出して6月26日の日記を読むと、友だちと神宮御苑に出かけたことが書かれている。その日の朝。母は起きられなくて父に起こされてやっと起きたようだ。起きた後、気分が悪くなったが、友だちとの約束があったのででかけたのだろう。なんとか外出できたことでほっとしている様子が文章からうかがえる。その日の日記を「一寸のことで身体がこたえるのは困ったものだ」と結んでいる。
同じ年の9月に母は妹たちとニュージーランドへの旅行を予定していたが、出発の前日の朝、異常ないびきをしている状態になり、救急救命センターに搬送された。命の危険もあったが一命を取りとめた母は自分一人では外出できない身となった。脳梗塞になり、手足の麻痺はあまりなかったが視野がおかしくなった。ものが斜めに見えるとよく言っていた。
87年6月26日の母は外出が自由にできる時で、写真の母は元気そうではないが幸せそうに見えた。ただ、日記をよく読むとその年は気分が悪くなったり、体調を崩すことはよくあったようだ。それにもかかわらず、夏の間、母は早朝の散歩を続けていた。海外旅行に行くので体力をつけようと思ったのかもしれない。あの頃、わたしは母の身体の状態をどう思っていたのか、まったく記憶にない。ただ、その5年ほど前に心筋梗塞で入院し,絶対安静の時もあり、病院に寝泊まりして付き添ったので、無理をさせられないと思っていたはずなのだが。
偶然見つけた母の写真、それは母が自分で自由に外出できる時の最後の方の写真だった。それがわたしが昨年はじめて訪れた神宮外苑で撮られたものだったことを思うと、母がどこかから「お母さんも○○ちゃんが行った所に昔行ったんだよ」と知らせてくれたように思った。元気な時のお母さんも忘れないでね、と言っているようにも思えた。
今日は小正月で小豆粥を炊いて食べる風習があるようだ。小豆粥はあまり食べたことがないが、乾燥した小豆が少しあったので茹でて夕食に小豆粥を土鍋で炊いてみた。茹で小豆の残りはお汁粉にした。思いがけなく小豆粥がおいしくて手間をかけた甲斐があったとうれしくなった。