朝は冷え込み、庭の中でもいちばん寒い場所に置いてあるメダカの水甕に薄氷が張った。昨夜は風邪気味で体調が良くなく、夕方庭に出たくなくてベニヤ板を上に被せていなかった。
今日はレオが他界して1年と半年たった月命日。昨日からの続きで、体調がいまいちだった。夜、一年半ぶりに会う友人との約束があったが、午前中に電話で事情を説明して1週間延ばしてもらうことにした。
午後一回近くに買い物に出かけた以外はずっと家にこもっていた。庭の鉢植えの水遣りは少ししたが。月命日だからといって何もできなかったが、わたしが家にいることがいちばんのレオへの供養のように思えた。庭から黄色い千両を一枝と、日本水仙を一本切って、レオの祭壇にお供えしてある花に加えた。レオが亡くなってから花を絶やした日は一日もない。
今日はレオといっしょに居させてね。心の中のレオに話しかけた。
図書館より借りた短歌集に、山崎方代という歌人の歌集がある。その中にこんな歌があって、胸にぐっときた。
私が死んでしまえば
わたくしの
心の父はどうなるのだろう(山崎方代)
こんな歌も
青梅がぽつんと土を打つ音に遠い歳月がある(山崎方代)
わたしの心のレオはどうなるのだろう。こんなにもレオのことを思っていても、生きている間だけのことかもしれないが、ずっと思っていこうと思った。