柴犬レオの命日に、梅の収穫をした

 昨日〈日曜)のことだ。6月15日は昨年16歳と2か月半あまりで他界した柴犬レオの命日である。
 朝4時半ころ起きて、父母のお墓参りにでかけた。レオの被毛を入れたカプセルを身に着けて、レオもいっしょに行ったつもりだ。レオの命日であること、近所の方とともに梅の収穫をすることを墓前で伝えた。後で気づいたのだが、昨日は父の日であった。例年、父の日には墓参を欠かさなかったがそうとは知らず墓参をしたのだった。
 お寺を出て、元気な頃のレオと毎日のように散歩にでかけた多摩川の河川敷に向かった。日中は梅の収穫で忙しいので、せめて朝の散歩は心の中のレオといっしょに出かけ、レオとの思い出に浸りたいと思った。野球やサッカーの練習場がある河川敷はレオと来た頃とほとんど変わっていない。バックネットに張り付けた大学の名前が変わったくらい。ただ、川辺まで歩くと、柳の木が鬱蒼としてあの頃とは様変わりしていた。当時は岸辺に生える木がいまより少なく、川のそばの開放感がある場所だった。
 レオのいない多摩川の河原にいることを苦痛に感じたが、初老の男性が黒いパグ〈小型の犬)とともに歩いてきた。そのパグがぼーっと立っているわたしの足元に駆け寄ってきて、軽くあいさつをした。腰を屈め、やさしく頭をなでると、自分をおいて歩みを進める飼い主さんのほうに急いで走って行った。
 ふたりの姿にレオとわたしを重ね合わせて、しばらく河原を歩いた。レオはわたしの姿を確認しながら、リードなしで自由に走ったり、叢の匂いを嗅いだりしていた。当時と河川敷の広さは変わらないが、散歩中の犬に対する管理が厳しくなったのを、あちこちに立てられた立札に感じた。そのぶん、河川敷は狭くなったのかもしれない。
 小一時間ほどで家に帰り、朝食をとり、すぐ庭に出て梅の収穫の準備をした。採った梅を入れる大きな入れ物を洗ったり、地面に落ちた梅の打撃を緩和するための畳表を敷いたりした。
 柴犬レオの写真立てと水を入れた器と花を活けた一輪挿しを、エアコンの室外機の上に敷物を敷いて置いた。レオにも梅の収穫に参加してもらおうと思って。
 ほどなく斜めお向かいのご主人が来られて、梅の収穫がはじまった。10時少し前までご主人とわたしとで作業をしてだいぶ採れたころ、もう一人の助っ人さんが車で奥さんと共に来られた。少しだけ高枝鋏で梅を採った後、助っ人たちはワールドカップを観るために家に帰った。日本対コートジボワールの試合だ。わたしもレオの写真と共に家に入り、テレビをつけたが途中で眠くなり、起きたら日本が負けていた。
 12時ころから梅の収穫を再開し、レオの写真も庭に出したが、現場が混乱して写真がはねとばされそうなのでしばらく懐に抱いていた。午後は脚立を伸ばして梯子にして、高い所の梅を手でもいだり、木に登り高鋏で枝ごと梅の実をとる作業が続いた。収穫量は昨年より少なめ。でも梅の質は昨年より良さそうだ。
 作業が終わると奥さんたちが来られて、散らかった梅の枝や落ちて痛んだ実を掃除してくださった。地面に敷いた7〜8枚の畳表、ツツジの植込みに被せたブルーシートなどを取り除き、庭はさきほどの作業現場然とした様子からいつもの姿に戻った。
 昨日は柴犬レオの命日だったが、それまで誰にもそのことを知らせることができなかった。だが奥さんのひとりと話しているとき、何かの拍子にレオの話になり、今日が命日であることを伝えた。お骨がまだ家に有ることを話し、家に上がって、レオの仏壇に手を合わせていただいた。その人はいままでレオのことに触れなかったのは、わたしを可哀そうに思い〈レオのことを話すのは〉悪いような気がしたからだと言った。そうなのか。レオが死んだことを話した後、あまり返ってくるものがなかったのを誤解していた。死んだら仕方ないと受け取るさばさばした人と思っていた。確かにわたしよりずっとさばけている人ではあるが。
 助っ人に来てくれたご主人たちはそれぞれ加工したい用途にあわせて梅をとりわけた。ひとりは梅干しだけを作るといって、6キロ近くの梅を選んだ。さきほど家に上がっていただいた奥さんは、梅ジュース、梅干し、梅ジャム用に4キログラム余り。梅干しの作り方を簡単に伝授した。
 午後3時ころ、遅い昼食を軽く食べていると電話があり、打ち上げ会に来てくださいとのこと。斜めお向かいの家に伺い、ビールや焼酎を昼間から飲んだ。これも昨年通りだkが、昨年は梅の収穫をお昼過ぎからはじめたので飲み会も夕方から始まり、夜になってレオがいる家に帰ったのを記憶している。昨日はまだ明るいうちにお開きしたが、朝早くから動いたのでぐったり疲れ、早々に眠りについた。



 明けて今日も梅の収穫の続きというか、ご近所の別の奥さんが家に来られて、まだ梅の実が残っている木を見て、自分で採ってもいいですかと聞いてきた。いいですよということで、わたしも手伝って残りの梅をもぎ取り、持って帰っていただいた。しばらく梅との格闘の日々が続きそう。
 レオの命日を昨日迎え、未体験の一年が始まったような気がした。レオのいない年月が重なっていくことを身にしみて感じた。昨年の今頃は・・・・・と振り返って、亡くなってから一年間は振り返った先にレオがいた日があったのだが、これからは振り返ってもいない年月が過ぎていくように思えた。



昨日は忙しくて梅の収穫風景も、収穫した梅も写真に撮ることができなかった
あれこれやることが多くてよゆうがなかった
今日の庭で咲き始めたダリア〈上)と、蕾が開きかけたアガパンサス(下)
ともに初夏の花である
昨年、柴犬レオが亡くなってから咲いた花という印象が残っている