老いたりといえど・・・・・

 今月27日で16歳になる柴犬レオ。今日もおもしろいことがあった。あまり調子が良くないのだが、外に通じるドアをがりがりしているので外に行きたいのかと解釈し、抱いて駐車場に連れて行った。
 片手にブラシを持ち、片手で抱いて。土止めのブロックに寄りかからせるようにして、ブラッシング。終えてから、梅の花びらや落ち葉が風に吹き寄せられているのが気になり、レオを置いたまま、あちこち掃き集めた。ときどきレオの様子を見に行き、声をかける。掃除も終えてレオの所に戻ると、姪の子供がJボードの練習を始めている。思わずレオに声をかけた。レオ、大丈夫?
 今年小学校に入学する子は犬が苦手だった。いまはそうでもないが犬の扱い方に慣れていない。レオをこわがると、レオはかえってその子に吠えたりした。
 Jボードはまっすぐ乗るだけでなく、曲がる練習をしている。わたしはだいぶうまくなったのでほめたりしていた。
 ブロック塀に寄りかかって、いっこうに動かないレオがむっくりと立ち上がり、離れて身体を傾けながらなんとか歩こうとする。と、その子の方によろよろしつつも歩いてきて、Jボードの覆いかぶさるようにした。その子はこわいものを見るような目で見ている(やはり、一度こわかったものはどこかでこわいという気持ちが残るようだ)。 
 わたしはレオがその子に、ここは僕の居場所だよと釘をさしたように思えた。いつもこの駐車場で歩いたり、ブラッシングしたり、休んだり、用をたしたりして、レオは自分の縄張り意識があるのだ。例え、人間のこどもでも(いや、人間のこどもだからこそ、か)好き勝手にしてもらいたくない、みたいな気持ちがあるのだろう。レオにとってはその子は自分をこわがる、目下みたいなものだから。
 レオのこういう気慨に、わたしは感心し、やはり好きだなあと思った。年老いて身体は不自由、脳の調子も体調も良くないがそれでも気持ちはしっかりしている。頑固なところもある。プライドもあるにちがいない。
 レオを年寄り扱いするのはやめておこう。年老いて介護が必要でももわたしの友だち、共に暮らすパートナーだ。


 廊下に敷いたジョイントマットが使いやすいので、庭に面したレオの部屋にも敷きつめようか検討している。3倍近くの枚数が必要で、敷くのも大変だが、現在敷いているカーペットにレオがおしっこ、うんちをするので、シミが目立つようになってきた。あたたくなると、匂いも気になるのではないだろうか。
 四角のジョイントマットにすると、汚れは拭きとれるし、汚れがひどくなったらそこだけ交換することもできる。今敷いているカーペットは、家具だけで固定しているので、レオが後ろ足立ちをすると端のほうがずれてめくれてしまう。レオが倒れることもある。
 マットは今のところめくれることはないが、足に力が入るのか、爪で穴があちこちあいている。レオの爪はわたしの素足の上を歩かれると、飛び上がるほど痛いのだ。


ガラスの花瓶に乙女椿を活けて描いてみた


庭の乙女椿