朝顔の植え替え

 日差しは強いが風がさわやかな6月最後の日。5月初めにポットにタネをまき、だいぶ前に発芽し、本葉を何枚か出して大きくなった朝顔の苗を定植しようとずっと思っていた。
6月の初めくらいから、早くしないと思っていたが、柴犬のレオが15日に亡くなり、ますますできなくなっていた。
 昨年と同じように植えようか。今年は別の植え方をしようか。迷いに迷った。昨年と同じようにすると、レオがいた夏を思い出し、辛くなりそうだったが、別の植え方をするとレオがいた夏を否定するような心もちがして、決められなかった。
 だが今日はやっと定植できた。昨年と同じ植え方と、今年初めての植え方の両方をやることにした。
 ぜんぶで7つの苗を、縦長のコンテナに3つ、横幅があり、深さもあるコンテナに4つ植えた。縦長のコンテナは、深さがないので支柱は外に立て(これは昨年と同じ)、横幅があるコンテナは深さがあるのでコンテナの中に支柱を立てることにした。
 ポットに根をぎっしり張った苗を植え付けた。もう少し早く植えた方がよかったがこれでよしとしよう。
 朝顔の苗が無事育ってほしい。朝早く起きた時、きれいな花を見せてくれ、元気をくれる。昨年の夏は毎朝どれだけ目と心を楽しませてくれたか。

二つの大きめのコンテナに朝顔の苗を植えた
支柱は数日中に立てるつもり


 昨日は柴犬レオが他界してから、いちばんといってもいいほど精神的に不安定になった。身の置き所がないというか、息をすることも辛い感じ。呼吸機能が悪いのでなく、精神的なものからくる。呼吸が浅くなり、出す声が弱弱しくなった。
 日中はどうしていいかわからなかったが、夕方になり、同じように高齢犬を昨年秋亡くした飼い主さんがお花を持って訪れ、家に上がっていただき、話したことで少し落ち着いた。夕方遅く散歩に行き、レオとときどき歩いたコースを回った帰り、レオといつも行っていた用水路(丸子川)沿いで、やはり愛犬を失ったことのある方に会い、しばらく話したこともよかった。
 ブログ友だちのuiriさんからメールをいただき、お言葉に甘えて、レオに対する思いを書かせていただいた。気持ちのままに書いたので失礼なところもあるかもしれませんが、どうかお許しください。

レオがいるとき、居間の障子を開けて、庭に面した部屋にいるレオがいつでも見られるようにしていた。今日は試しに障子を閉めたら、風で障子ががたがた鳴り、まるでレオがもたれかかっているように聞こえた。
 レオが歩くとき滑らないよう、またトイレにしてもいいように、四角のマットを敷いた廊下だが、レオのよだれなどがまだ残っているのだろうか。まだところどころに黒いカビが生えてくる。何回か水拭きしたのだが、拭き残したところがあるのだろう。最後の1〜2週間はよだれを流すことが多かった。四角いマットにはレオの爪跡が無数についていて、レオがいかに不自由な身でがんばって立とうとし、歩こうとしていたかがわかる。後ろ足立ちになっていた場所では特に爪跡が多い。

 午後、友だちに電話し、長々と話した、友だちは犬を大人になってから飼ったことがなく、愛犬を失った人の気持ちはあまりよくわからないようだった。
レオの死を嘆き悲しんでいるわたしにもどかしさを感じているようでもある。前を見ないと、といわれた。すぐには前を見れそうにないが、心に留めておこう。
 夕方は思い切って元気な時のレオと毎日のように散歩していた多摩川の河原に行った。犬友だちに会い、レオのことを話すと。ひとりは愛犬を若くして亡くした経験があり、毎日大泣きしているというわたしの気持ちをわかるわかると言った。泣いていることを受け入れてもらえるだけで気持ちがらくになる。
 帰りは犬友だちふたりに会い、ひとりは新しい犬を飼っていた(2年半ほど前愛犬が死んだ)。ひとりはレオのことをいい子だったねと言ってくれた。よく一緒に散歩した友だちだ。
 レオが他界して2週間あまり。わたしは少しずつだがひとりで動き始めた。レオの思い出とレオへのあふれる愛を胸に。レオ、姿が見えなくなっても大好きだよ。この気持ちはいつまでも変わらないよ。

2008年の多摩川の河原で
友だち犬の柴犬(女の子)とレオ
古いケイタイなので画像がぼやけている

同じとき撮影したもの
レオのアップ