老犬ももこの命日も過ぎ、、、

 今日は朝から雨が降り、傘をさして燃えるゴミを集積所に持って行った。

 雨は続かず、わりとすぐ止んで陽ざしが出たがまた雲が多くなり、というように不安定な空模様だ。いつまた、ざーと雨が降るかわからない。だが洗濯機を回して、いちおう洗濯物を軒下に干してある。天気とにらめっこである。

 昨日の8月26日は8年前に死んだ老犬ももこの命日。昨日は早朝、庭に出て今咲いている花を切り花にした。百日草、キバナコスモス、千日紅、ミソハギの4つの花だ。以前はもう少し咲いている花の種類が多かったように思う。

 水を満たした洗面器に切った花を入れて水切りをした。しばらく置いて花瓶に活けて、ももこの遺影の前に供えた。

 歳月が過ぎたので、こころをえぐられるような悲しみはもうないがわたしにとって愛しい犬であることは変わらない。数えきれないももことの思い出があり、折にふれ思い出し、ももこへの思いを深くしている。

 こんなことを言うと柴犬レオが焼きもちをやきそうだが、レオはわたしにとって特別な犬で、信じられないほど楽しい時間をともにした人生の相棒のような気持を持っている。レオはわたしを大好きだった。その気持ちが日常のあらゆる動作や表情にこめられていて、わたしをとても幸せにしてくれた。大切な、大切な存在である。

 ももことはどちらかというと切ない思い出が多い。家にいた時間が短いこともある。1年と五か月余りである。だからこそ、思い出のひとこまひとこまが輝いている。そのときの陽ざしや風までも感じられるほど、リアルに覚えている思い出もある。

 ももこへの気持ちは変わらないからこれまでと同じようにわたしのそばにいてほしい。

 昨日は明治神宮の秋の大祭に向けて献詠歌を1首、葉書に書いて投函した。8月に入って詠んだ短歌を見返してみてもあまりいい歌がなく、気持ちが落ち込みそうだったが、スマホにメモした短歌を推敲してこれならいいかも、という歌をつくった。

 キープメモは作った短歌を入力することが多いが、そのときに感じたことを即席で詠うので未完成で、独り言のような歌も多い。それらに少し手を入れて、生まれ変わらせるのがけっこう楽しい作業だ。

 もちろん、昨日の時点でいいなと思ったが時間をおいて冷静になれば欠点だらけの歌ということもありうる。それはそれで反省点として、次に生かせればいい。

 短歌1首を投函して気持ちが軽くなり、昨日の夕方から外出した。

 本を読んだり、ブログを書くときなど、眼鏡をかけることが多いが、だんだん度数が進んだのか、眼鏡を買い替えたほうがいいと思うようになった。最寄り駅前のビル内に数年前から眼鏡屋さんができたので、立ち寄ってまずどんなフレームがあるのか見たくなった。

 歩いたほうが時間はかからないが坂道が多いので、バスと電車で最寄り駅に行き、眼鏡屋に行った。

 若い女性の店員さんにいくつか質問をした後、わたしに似合いそうなフレームをピックアップしてもらった。価格的にも一万二千円から三万二千円と幅広いフレームを三点選んでもらい、装着したフィット感と、顔との相性をみた。

 三つの型番をメモしてもらった名刺をもらい、考えてみますと言って店を出た。

 眼鏡を作ることにはあまりいい思い出がなく、一番最初の眼鏡は母といっしょに眼鏡屋に行き母もいっしょに作ったのだが、母は新しい眼鏡を一か月ほどしか使わずに他界した。次の眼鏡は老犬ももこがいるとき作った。2016年の1月だったと思うがそのころはももこはそんなに腎臓の調子が悪くなっていなかった。だが4月に急変し、8月に死んだのだ。眼鏡を作ったときそばにいた大切な人と犬がいなくなったという、ちょっとしたトラウマになっている。

 今回はももこがいたとき作った店で新しく作ろうかとも思った。だが少しその店に行くことをためらう気持ちもある。ももこがいた頃を思い出すだろうと。思い出すことは毎日だって思い出すので、それはいいのだが眼鏡がきっかけでよりリアルにももこがいたときを思い出すのなら辛い。

 

老犬ももこに手向けた花

 今、急な雨の音がしたので、いそいでの軒下の洗濯物を室内に移動した。移動してすぐ雨が止んだが今日は外には干せないと思った。まだ台風は遠くにいるのにこんなに不安な天気となるとは!台風だけの影響ではなさそうだ。本州近くの天気図はどうなっているのか。ここ数日、天気予報をあまり見ていないので、後で見たい。