洋室の外に植えた紫陽花を剪定した

 いつもなら花が終わってわりとすぐ紫陽花の枝を切り詰めるのだが、庭にある紫陽花のうち数本はまだ剪定していなかった。

 茶色に枯れた花がそのまま残っていて、庭の端のほうに植えてるのだが庭道から見えるのでほぼ毎日枯れてるなあと気になっていた。だが日中がかんかん照りの日は庭仕事をする気にもなれなかった。もちろん、雨が降っている日も。

 今日は朝から雲が厚くおおう空で、ときおり陽ざしがさすような天気。蒸し暑いが陽ざしが少ないだけましなので庭に出た。

 枯れた花を枝先に残し、葉っぱもなぜか枯れかかっているものもあり、あまり元気そうに見えない紫陽花の木。それでも花後に出てくる新芽を脇から伸ばしたり、まだ伸びない芽が見えるので、その芽の上で枝を切った。細すぎる枝も取り除いた。この木は庭でもいちばん大きな紫陽花の木で、いちばんきれいに花が咲く。広い洋室の窓から眺められ、生前の父や母も眺めを楽しんでいた。 

 十数年前くらいまでは大ぶりの花がたっぷりと咲き、誰も見てもきれいだねと言いたくなるような木だった。花の盛りには切り花にして近所に持って行ったりもした。ほろい

 だがこの6~7年くらいか、だんだん樹勢が衰えた。木そのものの年齢が関係あるのだろうか。

 午後になり陽ざしが出る時間が長くなった。

 エアコンをつけた部屋にいるので、暑さはまったく感じない。

 ここ数年のブログを読み返した。どんな8月を過ごしていたのか、こんな興味だ、何を考えていたのかというのも気になる。自分のこととはいえ、時間が過ぎれば忘れてしまうものだ。よほど印象に残る出来事でない限りは。

 特に2022年の6月、7月あたりは蕁麻疹が発症した時期なので、何があったのだろうと再確認する意味もあって読んでみた。いまになって振り返ってみると、2022年の7月に発症したのだがその頃だけが問題なのではなくて、そこからさらに遡ってストレスをためる出来事を重ねてきたように思った。いくつものことが積み重なったことが時間をおいて見るとよくわかる。

 あまり人との関りを深くしないように気を付けているが、わたし自身が嫌だとはっきり言えないことがかなり問題だともわかってきた。はっきり言えないまでも嫌なことはやらないに限る。

 今年も残り半分どころかあと4ヶ月と二週間弱となった。前半は奈良の旅や日帰りの旅など充実していた。短歌を学ぶ場を少し広げることができた。さて、後半はどうしよう。自分の気持ちを大切にして生きていきたい。これから出会う人たちの気持ちももちろん大切にしたい。今、周りにいてくれる人たちの気持ちももちろん。だがやはり、結局は自分の気持ちがいちばんである。