猛暑日が続く東京。外出はせずに、家にこもって過ごした。
花壇ではグラジオラスがぽつぽつと咲いている。球根は時間差をつけて植えたので、いっせいに花が咲かずにはなやかさはないが、かえっていいかも。長い時間楽しめるからだ。同じ時に植えた球根も、花の色の違いのためか、それぞれ勝手に咲きたいときに咲いているので、個性を感じる。
エアコンをつけた居間でパソコンを開いて、国会図書館のデジタルコレクションにアクセス。今日は安永蕗子の自選歌集をデジタルで読んだ。デジタル化した資料のすべてが読めるわけではなく、絶版になった本のデジタル資料だけが読めるようだ。
安永蕗子という歌人の方はわたしが短歌を投稿している季刊の短歌誌に関わりのある方で、雑誌の題字は安永蕗子さんの手によるものだ。安永さんは短歌と墨筆のどちらにおいても頂点を上り詰めた方である。
かすかなる雪とらへむと伸ばす手の我が指つひに花とはならず 安永蕗子
ながらへて杙のごとくに立ち狎れし廚に狩らば春秋の水 安永蕗子
最近、国会図書館のデジタルコレクションを読むことに熱心で、自分の短歌を作ることを休んでしまっている。これではいけないと今日はいくつかを作ったがあいかわらずこれだというものが作れない。
午前中、友だちからラインがあり、少しやりとりした。とうとう自分のバイオリンを買ったそうだ。イタリアの作家により作られたバイオリンだという。まだ、新人のバイロン作家なので、価格的にはそんなに高価ではないが、バイオリンにどのような思いをこめてこのバイオリンを作ったかを綴った手紙(イタリア語)がそえられていたとのこと。わたしは知らなかったバイオリンの弓もバイオリンそのものと同じくらい大切で、価格的にも高価なようだ。
わたしはラインであまり話さなくて、どとらかというと質問して、聞き役になった。話したいことはあるのだが、話せない感じになって。これが続くとあまりよくないけれど、、、、
もう一人、こちらからラインを送り、返信がない友だちには違う内容の追いラインを送った。その返信は夜になり電話で来て、しばらく話した。この友だちとはひさしぶりにゆっくり話せた。わたしは話したいことを話せた。相手はどうだろうか。電話の声でリラックスしている感じが伝わってきたので、きっと話せたのだろう。たぶん、自宅からの電話だと思う。わりと外出先や会社からの電話が多くて、そういうときは声がどこか違うからだ。
今年の花壇はいつもと少し様変わりして、グラジオラスがいまのところ主役になっている。百日草にもがんばってもらいたいが、4本しか植えていないので、主役になりきれない。
こうして、一年ごとに花壇の雰囲気が変わる楽しさもある。わたし自身もわたしの暮らしも毎年変わっているような気がする。
常変わらない花壇というのもどこかなつかしさがあっていいが。