近くの川に雛九羽のカルガモ一家が、、、

 どんよりと曇って、時折雨がぱらつく。梅雨の入りのような空模様。

 昨日の晴れは貴重だったと思う。

 日曜日の歌会の疲れが残っている。昨夜は早めに寝ついたが2時過ぎに目を覚ました。そのまま眠れなくなり、しかたなくテレビのBSプレミアムを見ることにした。ドジャースとレッズの試合をやっているはずだった。ところが雨で試合は一時中断とテロップがあり、2000年代の日本人メジャーリーガーたちの活躍を放映していた。イチローや松井選手たちである。あの頃は、と思い出すとなつかしいより悲しい気分になり、テレビを消した。それからまた眠り、その後また一度起きたがすぐ眠った。最後に起きたのは7時前だった。

 こんなことで疲れが残っていたのかもしれない。朝食をとり、テレビ体操をしたりと時間が進むつれて疲れが残る感じが消えて行った。 

 友だちのラインが来たときはちょうど疲れを感じているときで、そのまま正直に伝えた。

 ラインでは話がうまくできないと思ったのか、友だちが電話していいと聞いてきたのでいいよと返事をし、ライン電話で話した。明日、ランチをともにすることになった。

 疲れた感じは薄れたが首筋や肩甲骨のあたりに赤い斑点が散らばるようにできていて、やはり疲れかストレスかを体は感じているにちがいない。今夜はせめてゆっくり休むようにしたい。

 外出はせずに、身の回りにたまった紙類を整理した。卓上にいつのまにか積み重なっている葉書、書類、チラシ、資料のたぐいをまず整理。いらないものは捨てた。さらに押入れのなかにクリアファイルで保存している歌会の資料などがたくさんあり、それらも整理した。捨てきれないものがいくつかあるがしばらく時間を置いてから、捨てることになるだろう。

 捨てたいものはまだたくさんある。

 昔の(といっても5~8年))短歌の歌会や短歌大会などの資料はなつかしいより、こんな短歌詠っていたのかとがっかりするところが多い。2021年に詠んだ短歌の一部をプリントアウトしたものが出てきたが、なんでこんな短歌を作ったのだろうとかなしいやら恥ずかしいやら。生々しく当時の自分の気持ちが伝わってくるだけに複雑な心境になる。

 資料の整理がひと段落ついて、今度は別の疲れを感じ、仏間に敷いたままの布団にごろんとなった。眠らないがやれやれという気持ちをかみしめつつ、体を休めた。

 少し元気が取り戻せたので、今このブログを書いている。

 先ほど、近くの郵便局のポストに葉書を投函しに行ったとき、近くの川に人が集まっていて見に行くとカルガモの雛が泳いでいた。すぐ親鳥がどこかから飛んできた。カルガモの雛を数えると、六羽になったり、五羽になったり動きが素早く数えにくいが雛は九羽いた。

 川を下って行く親子をしばらく追って、わたしも下流へ。親はゆったりと構えているが、こどもたちは水の上をすべるように激しくあちこちに移動する。九羽が一か所にそろったかと思うと、すばやく散っていく。元気だな。親は目を離せないので大変だ。

 九羽とも飛べるようになるまで無事に育ってくれるといい。親は雛のそばにいながらも、ときどきどこかに飛んでいくようだ。

 

 

花壇では鉄砲百合が咲き始めた