母の命日

 
 朝は冷え込み、防寒対策をほどこした水瓶のひとつに薄く氷が張った。もしなにもしていなければかなり厚い氷が張ったはずだ。
 朝6時過ぎの居間の室温は6℃、すぐエアコンをつけたがなかなかあたたまらない。
 金曜は燃えるゴミを出す日。庭の一角に梅や月桂樹の剪定枝が散らばったままなので集めて捨てようとしたが手がかじかんで身体も思うように動かないので止めた。
 ほぼ一日中に炬燵のある居間にこもり、午後遅い時間に近くの寺に墓参にでかけた。今日は母の命日。10年前のこの日に病院で息を引き取った。花は昨日お墓に手向けたのでお線香をあげるために行った。
 数日前に母の夢を見た。夢の中で母はあの後の続きを生きていた。隣の叔母の新築した家にお祝いに行きたいと母は夢の中で言った。新築したのは現実である。ただ叔母は母より10年以上も前に死んでいる。家を新しく建てたのは叔母の孫にあたる人だ。夢の中では母も叔母も生きているのが妙になつかしい。
 墓参りの後、その足で少し離れたスーパーマーケットに買い物に行った。運動を兼ねた買い物で週に1〜2回行く。昨年9月までは家の近くに八百屋があり、肉魚以外はスーパーマーケットと同じような食品があったのでそこですましていたが店じまいになり、離れた店に行くようになった。


 かん高き母の声聞かずになりて十年(ととせ)しばしば夢に聞こえる

 陽射し満つ冬の河原に細き糸でつながりたる母子と凧と

 失速しゆるやかに地に落つ凧 夢の続きはまた別の日に

 赤色の十年使ひし手袋はふとしたすきにわれより去りたり