武蔵小杉の短歌会へ

 8月は夏休みだった短歌会が今日から始まった。月に2回開かれるがわたしは月に1回だけ第二火曜日に出席している。
 12人がひとり2首を前もって送ると計24首をプリントしたものが各自に送られてきて、歌会の前に5首選歌して当日司会者に選歌した歌の番号を書いたものを渡す。24首の中に先生の歌も入っている。選歌は誰がどの歌を詠ったか知らされず行われる。
 私が詠った歌は2首ともあまり評判がよくなかった。1首は鷺草を詠った歌だが、白鷺という鳥を詠った歌と受け取られた。わたしの表現方法が拙いからである。直接的な比喩を使わず、鷺草が咲き初めたことを詠いたかった。鷺草の開花と白鷺の飛翔を重ねたが今回は無理があったようだ。
 もう1首は母が生前、時計を買っていた商店街の時計屋を詠った。その店はもうないがその店への愛惜の思いを詠った。

 新品の時計が並ぶ店のなか店主ひとりが老朽したり

 先生がおっしゃるには店主のイメージが歌を読む人に伝わらないと。どんな店主なのかを詠わなけらばいけないと。

 新品の時計が並ぶ店のなか猫背の店主だけが朽ちたり

 背が高く痩せていてやや猫背の上品な感じの店主だった。

 新品の時計も店主もなくなりて寂しき街のコンビニとなる