「ハンナ・アーレント」を観た

 昨日は神田神保町岩波ホールで、「ハンナ・アーレント」というドイツ映画を観た。
 友人に誘われての久々の映画鑑賞だが、ブログ仲間のrosa_rojiaさんの記事を読ませていただいてから、機会があれば観たいと思っていた映画だ。
 かなり混み合い、当日券を手に入れるために会場前から並ばなければいけなかった。
 2時間ほどの長めの映画だが、集中して観ることができた。映画のタイトルとなったハンナ・アーレントユダヤ系ドイツ人の哲学者で、同じくドイツの哲学者であるハイデッカーの愛弟子である。
 ナチスが台頭してきたドイツからフランスに逃亡したハンナは、ナチスの侵攻により、フランス国内で抑留されるが強制収容所送りになる寸前に、救出に来た夫とともにアメリカに亡命。戦争が終わり、逃亡中のゲシュタポのひとり、アドルフ・アイヒマンが南米で逮捕され、イスラエルの首都エルサレムで裁判が開かれる。その裁判をハンナが傍聴し、ニューヨーカ―に発表したリポートの内容により激しいバッシングの標的になる。
 膨大な人数のユダヤ人を列車に乗せ強制収容所に送りこんだナチスの現場における指揮系統の上の方にいたのがアイヒマンのようで(申し訳ない、かなりの本数の映画と『夜と霧』などの著作で、ナチスが行ったことの知識はあるがアイヒマンについてはほとんど知らない)、ハンナはアイヒマンが行ったことを凡庸な人間が思考停止に陥り、モラルを喪失したためとする。犠牲になったひとりひとりのユダヤ人すべてへの許しがたい犯罪で、人類への脅威となる犯罪だが、犯罪者はどこにでもいる平凡な男だったということだろうか。
 ハンナはかけがえのない友人にも背を向けられる。バッシングを受けた理由はもうひとつある。戦争中のユダヤ人の中に、同胞の犠牲を倍加させる原因となる行為があったという指摘だ。
 ハンナは裁判でのアイヒマンの言動を受け止め、感じ、思考し、歴史の事実であり彼女にとって真実であることを書いた。勇気のいることだ。



レオとわたしの部屋から眺められる
雨が降る今日の庭
通路に落ちたカエデの赤い葉と花壇に植えたプリムラ
彩りになっている


部屋の前の花壇の写真(11月20日撮影)をもとに
絵を描いてみた
レオへの絵手紙