大晦日、今年も来たよ

 今日は令和4年の大晦日

 今日のことを語る前に昨日のことを少し。昨日は路線バスに乗って二子玉川へ。駅前のビルにあるユニクロで、防寒対策の小物を少し、東急ストアで年末年始に食べるものをやや多めに買った。

 買い物の後、いつも行くアンテコ・カフェは混んでいて、外の席しかなかったのでそこに座った。高い椅子が3つと丸いテーブルの席だ。注文したのはあたたかいチャ。インドのティーである。

 外と言っても上には高い屋根があるコンコルドみたいなところで、風が吹くわけではないが空気が冷たい。最初は大丈夫だったがだんだん膝あたりが寒くなった。歌集を読みながらここにいたのでは風邪をひくと思ったので、店内に入ってみるとちょうど席を立つカップルがいたのでその席に座ることにした。4人で吸われる席を一人で独占して歌集を読み続けた。かなり集中して読める。1首1首深く味わいながら。

 めちゃくちゃ重たい買い物を持ってバスに乗り、家に帰ると九州の八代市から郵便が届いていた。季刊の短歌誌「しらぬ火」の2023年1月号(通算88号)である。

 これについてはカフェで歌仲間からまだ届いていないがそちらはどう?とラインがあり、出先だが午後2時までは届いていないと返信した。さっそく、家に帰ったら届いていたととラインを送る。仲間のところには結局届いていなかった。仲間は三回、別の会のそれぞれ別の人が出した郵便物が住所が間違っていて届かなかったという事が最近立て続けに起こって、疑心暗鬼だ。たぶん、東京の同じ区でも端と端では届く日数が特に遠方からだと1日くらい違うかも、とラインを送った。

 

   さて、繰り返しになるが今日は大晦日。今年のことだけでなく、ここ数年を振り返った。そのきっかけが都税の還付があると通知が来たことだ。重複して税金を支払ったわけだがその年が令和2年と記してあり、驚いた。2年前である。記憶を探ってもなんの記憶も残っていない。先方に記録が残っているので、判明したわけだが、2年の歳月がかかったことにも驚いた。

 そういえば2年前は適応障害に似た症状が出て、睡眠がとれない、食が細り体重が激減する、わけもなくやたら涙が出てくる・・・・・・苦しい時期があった。ちょうどその症状が底を打ちはじめたときが税金の支払い時期と重なり、わたしのこころの混乱によって二重に支払ったのだろうか。二重に支払うとはたぶん、支払い期限が過ぎて督促状が来たがその前に振り込んでいて、さらに督促状に従い振り込んだのだろうか。

 ここ数年を振り返り、今自分がどんなところにいるのかを考えた。この夏も精神状態が不安定になり、蕁麻疹の症状が出て薬で何とか抑えたがその後、手や顔、首、頭に皮膚病が現れ、いまだに続いている。ただ、だいぶ軽くなったと思う。

 心の負担を取り除くためにいくつかのことを手放した。手放したくないこともあったが仕方ない。生活上の負担を取り除いたのはこのブログのアップロードの回数を減らしたことと、毎日書いている手書きの日記をほぼやめたことだ。日記のほうは6月半ばから書く回数が少なくなり、10月までは少なくても書いてはいたが11月、12月は一日も書いていない。来年はぼちぼち書きはじめようか。負担に感じたら書く回数を調整しながら。

 人間関係ではぐっと胸が押されるような人との関りをやめて、距離を置いた。この人と会うと思うと、胸が妙に押される感じがすることがあったのだ。そうするうちに、胸が押される感じがなくなり、会おうと思えば会えるようになった。だが以前のようには戻れない。

 人間関係は距離をとりつつ、新しい関りも増えてきて、変化があったということか。短歌は蕁麻疹や皮膚病に悩まされているときも現在も、かえって前より作る数が多くなった。

 こんなことを考えつつ、部屋の掃除をしたり、今年最後の買い物をしたり。いまは台所で黒豆を煮ている。

 実は年内に作らないつもりだったが、昼食後急に作ろうと言う気持ちになった。材料(黒豆、丹波産)は買ってある。いつもより大粒の黒豆だ。お汁粉も作りたくて小豆を買ってあるがこれは冬の間のいつかに作ればいい。こういうアバウトな感じが心の負担にならなくていい。

 

 ブログに訪れてくださるみなさま、今年一年ありがとうございました。

 なんとか続けて行けるのもみなさまのおかげです。良い大晦日を!

 来年もよろしくお願いいたします。