いろいろとあって、昨夜もあまりよく眠れなかった。寝つきはいいのだがいちど目を覚まし、それから長い時間眠れなくなる。時計を見ると、その時間に起きる癖がつくとテレビで聞いたことがあるので、時計は見ないようにしている。
ただ、今は夜明けが早いのでなんとなく外の暗さ明るさが雨戸のすきまから差し込む光でわかる。
玄関の扉を開けて庭に出るとまだ未明の時間で、鳥のさえずりが響き渡っている。東南の空に右側がかけた半月が出ている、見事に半分の月である。赤っぽい暗めの月だ。
家の前の道路に出ても、人影はなく、近くの川の方に歩くと、自転車に乗っている人を見た。この時間、犬がいる時よく起きていたことを思い出す。犬がいなくなり、この時間に外に出ることがほとんどなくなったがこうして久しぶりに出ると、あの頃の感覚がよみがえる。あれからどのくらい時間がたったのだろうか。あのときよりいまのわたしは幸せだろうか。そんなことはない。ただ、自分がやりたいことを見つけたのは幸せだったと思える、それ以外は・・・・・・。
家に戻り、布団に入るとこんど眠ったようで次に目が覚めたのは8時過ぎ。火曜は燃えるゴミ出しの日だが、最近回収が早くなって、外に出て集積所を見るとすでに持って行った後だった。
駐車場の後ろに植わっているスモモの木から未明に聞いたのと同じ鳥のさえずりが聞こえる。ああ、そうか。あの声はスモモを食べに来た鳥たちの声だったのだ。あんな早くから鳥は活動するのか。鳥という生き物に妙に共感を感じた。生きている限り朝早くから起きて食べ物を探しに行くという生き方。あそこに美味しいものがあるとなれば未明から行動するのだろう。そうやって、いつまで生きられるかなどということに頭を煩わすこともない。いつか死は訪れるのだがその時鳥は空中から落下するのだろうか。その前にもう飛べなくなり死ぬのだろうか。体が弱った鳥は死を予感するのだろうか。
鳥たちにたっぷりすももを食べてもらいたいがわたしたち人間も楽しみたい。
脚立を移動させ、熟れたスモモをもいだ。近所の友だちにあげるために。もちろん自分用にも。
友だち用に袋にスモモを入れ、手作りの梅ジャムのひと瓶づつ入れて、家の玄関の前に置いた大きな桶のなかに袋を入れた。時間がある時に取りに来てもらうように二人の友だちに電話をした。
もう一人、お隣の奥さんとは親しくて、いつもすももを持って行くと「おいしい」と言ってもらえた。そのひとにももぎたてのスモモを袋に入れて持って行ったが留守だった。高齢なのでどこかに入院中という事も考えられる。以前もそういうことがあったので。
玄関先にスモモを置いたまま、わたしは広縁に布団を敷いて横になり仮眠をとった。目覚めて見るとどちらも持って行ってくれ、なくなっていた。
ひとりからは夕方電話があり、しばらく話した。
スモモの収穫以外は、パソコンに向かい、ワードの「6月の短歌」というファイルに17日から今日まで詠んだ短歌を入力した。新しい短歌も作った。文章を書くようにキーボード入力しながら短歌を作れるので、これはいいことだと思っている。鉛筆でも詠めるし。
午前中、友だちからラインがあり、わたしがよく使う最寄り駅にいると伝えてきた。昨日、なにかあったらしくわたしに話したいことがあったようだが、わたしはわたしでよく眠れず、朝10時過ぎに朝食をとる非常事態だった。会いに行きたかったがからだが重くてできなかった。ラインをしながらこれから朝食などと伝えたが、友だちもこれから朝食みたいで、タイミングがうまく合えば駅まで行っていっしょに朝食を食べられたかもしれないが、わたしにはよゆうがなかった。