三日月を見ながら散歩

 朝はNHK短歌と俳句を見て、テレビ体操をした。
 フェルメールを特集した日曜美術館も見て午前中はのんびりしたがお昼近くになり、思い立って庭に出た。
 しばらく前から剪定したと思っていた金木犀を切った。玄関前に立つ樹高の高い金木犀は植木屋に切ってもらったがこちらは自分で切るつもりだった。
 脚立を運んで来て上り、植木鋏で枝分れしているところの下を切った。脚立をあちこち移動して切ったが手が届かないところがあり、高枝鋏を持ってきて切った。高枝鋏を使うととても楽に切れる。新しく買った高枝鋏は本体が長く伸びるタイプではないが扱いやすい長さで、買って正解だった。
 お昼過ぎに剪定はひと休みし、昼食後再開した。高枝鋏を使ったのは午後になってからである。
 この金木犀はすぐそばに(20cm離れているかいないか)花桃が植えられ、金木犀の上に花桃の枝が伸びている。どちらも父が植えたもので、どちらも樹高が高くなる木をなんでこんなそばに2本も植えたのかわからない。父は庭に植える木をいつも多めに買うことが多く、結果的に密集させて植える傾向があったがここまで近くに植えることはなかった。
 おおよそ切り終えたがまだ気になるところがあるので、日を置いて仕上げをすることにした。
 午後5時にはもう暗くなった。日が暮れるのが早い。家々の灯りが灯り始めると散歩をしたくなり、ふらっと外に出た。遠い街の灯りを見たくなり、坂を上った。坂の上で多摩川のこちら側と向こう側の家いえの灯りが遠くに眺められる。
 雲が多めの空に三日月がのぞいた。雲に隠れたりまた出たりする三日月をときどき眺めながら歩いた。三日月を目で追いながら散歩。方向感覚が乱れた。
 わが家は国分寺崖線の下に位置し、最寄りの駅から坂を下って家に辿りつく。この坂の上り下りが心身に染みついていて、よく坂道の夢を見た。長い長い坂道を下って家のある地域に辿りつくが、家がなかったり、家はあるがまったく違う家になっていたり・・・・・・・。坂を上るとまったく違う世界に出てしまうとか。こういう夢だ。
 三日月を追いながらの散歩は夢に近い感じがした。

 ひよどりの飛び立てし後揺れる枝 鳥の重さを思い返すごと

 三日月に誘われ歩く街の灯を遠く眺める夜の散歩を