足首が痛いが武蔵小杉の歌会へ

 昨日から痛くなった足首。今日もまだ痛みが残っている。
 午前中は特別支援学校のカフェに行き、友だちや顔なじみの人たちとあれこれ会話を楽しんだ。校内の売店では学校の菜園で収穫したばかりの茄子と獅子唐を買った。
 いつもより早くカフェを後にし、家に帰り急いで昼食を食べでかけた。足首がまだ痛いので最寄りの駅までバスで行こうと思ったが、時刻表を調べるとバスで行く方が時間がかかることがわかり、いつものように坂道を上り駅まで行った。
 坂道を上るときは足首が痛くないが階段を降りた時痛かった。帰りは坂道を下ることが多いので、バスを使うことに決めた。
 駅の階段も上りは大丈夫だが下りはすべてエスカレーターがエレベーターを使った。
 無事に歌会の会場にいつもより早めに着いた。
 歌会に列席はしないが詠草を提出して参加している方のご主人が亡くなったことが知らされた。しばらく歌のほうもお休みするとのことだ。
 わたしが出した歌は歌会の参加者の誰からも選歌されず、さびしい結果に。

 右腕の生傷を朝に気づきたり昨日の梅の仕返しならむ (先生が添削したもの)

 梅の実をもいだ翌朝、右腕に赤い生傷がいくつも見つかり、梅の古木がわたしに残したものを仕返しと思った。ただではやらないぞみたいな。梅の木もわたしも生身同志。梅の木がわたしの腕に残したもの。それは仕返しではないようにも今では思う。

 蛇行する川の水筋変わらぬを沿ひて歩く人は老いたり

 近くの川沿いの道を歩いて小学校の頃、絵を習いに行っていた。川の蛇行は昔とかわらないがわたしは絵を習いに行った昔とは違うことを思って詠った。

 歌会を終えていつものように先生を囲んでのティータイムは欠席した。少し買い物があったので。
 帰りは下り坂道を避けて、もう一つの最寄駅からバスに乗って帰った。