鉄砲百合が咲いた


 


 今日、鉄砲百合が咲いているのに気づいた。多分、今日咲いたのだ。わたしが知らないうちに咲いていることはないと思いたい。昨日は気付かなかった。
 10年近く前に買ってきた球根を植え、そのままにしてきた。昨年あたりから花数が少なくなり始めたので球根を掘り起こして植え替えた方がいいと思った。だが百合の球根は扱いが難しい。根を傷つけないように掘るのが難しいし、乾燥に弱いので掘ってすぐ植え替えた方がいいとどこかで読んだことがある。
 今年は昨年よりさらに花数が少なくなった。伸びた茎の数が少なくなり、1本の茎に咲く花の数も少なくなった。父がいた頃、柴犬レオや老犬ももこがいた頃と咲き継いできた鉄砲百合の花が寂しくなったのを複雑な思いで眺めた。
 午前中は近くの特別支援学校に行き、校内のカフェで珈琲を飲んだ。木曜はわりあいと訪れる客数が少ないのだが今日はにぎわった。久しぶりに会う人、はじめてきた人などいつもの顔ぶれに変化があり、会話がはずんだ。しばらく会わなかった人は病気で入院していたそうだが今はお元気そうに見えた。こうしてまた会えることがうれしい。
 午後になり、郵便ポストを見ると友だちからの手紙が入っていた。文面のあることばにほろっとした。友だちがそんなふうに思っていたことを始めて知った。友だちとは出会ってから長い歳月がたっている。その長さがしみじみ幸せなことと思えた。
 久しぶりに庭仕事をしなかった。知り合いの句集を読んで、気に入った俳句を抜き書きし、一句ごとに短い感想を書いた。けっこう大変だった。手書きは字がきれいでないので、ワードで清書してから本人に渡そうと思っている。

 うっすらと色づく梅早くとれとせかすごとく風に揺る