武蔵小杉の歌会に行く

 朝から晴れて風もなくおだやかな一日となった。
 午後からは武蔵小杉駅前のビル内で開かれる歌会に参加した。骨折で入院中の人や新たに入院した人、肉離れをおきた人などがいて歌会に参加した人は少なくなり、先生を入れて10名となった。
 先生には応募する予定の題詠の短歌4首を歌会の前にわたし、添削していただいた。自分が表現したいことにことばが追い付いていかないことを自覚している。自分以外の人がわたしの歌をどのように読むかを知りたかった。第三者の目というのは歌にはどうしても必要なものだ。
 先生は4首のうち、特に2首をいい歌とほめてくださった。だが表現は未熟で手直しが入った。2首のうち、どちらを献詠歌とするか迷うところである。
 歌会に皆さんが出した歌はいい歌がいくつかあった。
 わたしが出した歌の1首はいいところを詠んだと先生がおっしゃったが表現はへたと。もう1首はわたしが詠もうとしたことが伝われらなかった。ただ、歌会に参加した一人だけが後でわたしに詠おうとすることがよくわかる、いい歌だと思ったと話してくれた。
 短歌は三十一文字で伝えなければならず、十分に伝えきれないこもある、。その伝えきれない所を想像力で補ってそれぞれの解釈をするのだがあまりに伝わらないとがっかりする。

 病持つ友が不安をふともらし別れて後に長く後を引く (元歌)

 病む友が小声にもらしし一言が別れて後に長く後を引く (先生の添削したもの)

 先生の添削により歌が格段に良くなった。「ふと」ということばは使いたくなるが歌をだめにすると先生。

 わが犬と歩きし竹藪独りでは歩かぬ竹藪鶯が鳴く (元歌)

 鶯の声の透れる犬死にて独りでは入りてゆかざる裏の藪より(先生の添削した)

 鶯の声の響ける犬死にて独りでは入りてゆかぬ藪より


 白花のトキワマンサク芽吹く葉と花交じりあひ陽にきらめく

 並び立つメタセコイアの新緑の円錐形を電車より見ゆ