コインランドリーでラグを洗う

 朝から晴れて、東を向いた雨戸を開けると太陽の光がツツジの植込みを通して目に飛び込んできた。ツツジの細かい葉は光のつぶをきらめかせ、太陽とわたの目の間の緩衝材になってくれる。
 朝早めに千葉の農家の夫婦が野菜を軽トラックに積んでやってきた。大根、小松菜、トマト、じゃがいもを買った。十年以上毎月2回、千葉の畑で採れた野菜を売りに来たこの夫婦もあと11月に2回来るだけとなった。ご主人の腰の調子が悪く負担になってきたとのこと。農業は続けると言った。長い年月、野菜を買い続けてきたので寂しさを感じる。母はこの農家からわたしが野菜を買うのを嫌がった。すぐ近くに長年(半世紀以上)親しくしている八百屋があり、野菜はそこで買いたいと思っていたから。八百屋のお客になってささやかにしても支えてあげたかったのである。
 お昼前に夏の後半で使った居間に敷いたラグをコインランドリーに洗いに行った。洗濯と乾燥がいったいになり、洗濯だけなら17キログラムの洗濯ものが洗える。持って行ったラグは3,2キログラムだったので、洗濯と乾燥の少量コースを選んだ。ぜんぶで40分かかり、800円だ。
 洗剤も柔軟剤も自動的に出てくる。昔のコインランドリーとはだいぶ違っている。オープンしたばかりなのでなにもかもきれい。わたしが店にいた小一時間の間にわたし以外のお客はふたりでほぼ独り占め状態である。
 コインランドリーの窓から近くの幼稚園の児童が大学内の遊歩道に落ちているドングリを拾いに来たのを眺めた。黄緑やピンク、空色のおそろいの帽子をかぶっている。年長組や初年度の生徒などで色を変えているのだろう。こどもはドングリが好きだが、午前中散歩に来た時わたしもドングリを拾ったのでなんか面はゆい気がした。幼児性があるのかもしれないと。
 大きなラグは40分のコースでは乾燥が不十分で、さらに別の乾燥機に入れて10分乾燥させた。
 洗ったラグを持って10分くらい歩いて家に戻った。
 短歌誌に送る短歌8首は今朝も2首作り直し、なんとか仕上がった。仕上がった歌のコピーをとるために朝早い時間に散歩を兼ねてコンビニに行き、その時ドングリを拾ったのである。
 仕上がった歌を一読してひさしぶりに号泣した。ももこを詠んだ歌。満足してるわけではない。もっといい歌を詠見たいと思っている。だが8首詠んだことでなにかわたしのなかではじけたのだろう。こころのそこから泣いた。
 火曜の夜から8首の歌に集中したので、ほかにやりたくてもできないことがたくさんあった。新聞を読む時間があれば歌の直しをしたいのでほぼ1週間分の新聞がたまっている。庭仕事もたくさんたまっている。そろそろ花壇の植え替えをしないといけない。


 洗濯機はコインランドリーから逃げ出したいと高速回転の身もだへせり

 カフェラテ手にコインランドリーの主となり特大洗濯機を働かす

 洗濯機に青色のラグ運命にほんろうされるがに回り狂う


 親の木を超える野心もつどんぐり とりあえずみんなでころがりたり

 一日たつと黄色増す銀杏並木 照り陽のおほき翼に包まれて