秋晴れの日、武蔵小杉の歌会へ

 晴れて陽射しが降りそそぎ、気温が上がった。午前中、廊下に座布団を出して干した。
 午後は座布団をそのままにしてでかけた。東急線武蔵小杉駅前のビル内で開かれる歌会に出席するため。家を出る少し前に友だちより電話があり、数か月ぶりだったので、これから出かけるところと言って電話を切ったり、話を短くしたくなく、いつも通りに話した。6月くらいに11歳の柴犬の女の子の飼い主さんが老人ホームに入るので引き取ってもらえる人を探しているという話があったがそのときわたしは別の犬ことでショックを受けて落ち込んでいたのでその話には乗れなかった。その柴犬に新しい飼い主さんが見つかり、とても元気になり、11歳とは思えないほどになったという話を聞いて、その犬ためにもわたしのためにもうれしくなった。
 今のわたしはそのときショックから立ち直り、とてもなだらかな気持ちになれたのであのとき私がある意味で拒絶した(強すぎることばかもしれないが)柴犬が幸せになったことをこころから喜ぶことができた。ただ、新しい飼い主さんが検査である病気にかかっていることがわかり、手術のために入院するそうだがその娘さんがその間引き取ってくれるとのこと。病気が見つかった飼い主さんも愛犬とまた暮すことを励みに病気を治すと前向きなのでよかったと思った。人と犬はお互いに助け合える関係。生活のいろいろなことは人間が引き受けなければいけないがこころのなかで犬と人は支え合う。
 友だちとの電話で少し歌会に遅れた。みなさんは全員そろっていたので申し訳ないとは思うが、数分くらいなので許してもらおう。
 歌会に出したわたしの2首の短歌のうち1首はわかりやすく2名の人が選んでくれた。もう1首はわかりにくく誰も選ばなかった。その歌をどういう意味で詠ったかを話すと先生はほめてくれた。詩心があると。
 誰も選ばないまたは一人くらいしか選ばない歌はよっぽどひどい歌かとてもいい歌と先生は言った。いい歌でもわからないから選ばないということだそうだ。わたしにもこういう体験がある。どこか引っかかる歌だがよくわからないので選ばなかった歌がその歌会の最高の賞をとったことがあった。それからよくわからない歌をていねいに鑑賞することにしている。
 先生はこういう表現はどうだろうかという新しい試みを常に行うことが大切と言われた。
 ふつう過ぎる歌を詠むと、どこかで突き抜けたい、均衡を破りたいと思っているわたしがいることも確か。ただ、いつも突き抜けることを考えるとエネルギーが必要なことも確か。


 耳慣れたこほろぎの声出迎えにも聞こへ暗き鍵穴さぐる 

 鍵穴を手探りし家に入ればおほきながらんどうの暗闇