朝から雨模様、家で本を読む

 昨日の日曜は暑くて久しぶりにエアコンを入れたが今日は窓を開けると涼しいくらい。
 昨日は電話で早めに短歌を送ってくれとの催促の電話があった。9月第二週の火曜に開かれる短歌会のための歌で、8月20日までに送ればいいということになっていた。電話で急に早くしてくれと言われ納得がいかないと文句を言い、言い争いになったが結局、電話を切った後、短歌2首を送った。みんなの歌を早く見たいという人がいるとのことだがどうだかわからない。
 最近、自分が納得いかないことをしぶしぶ受け入れることが続き、もやもやが残る。自分の思いどおりにことが進んだ相手は気持ちおだやかなのだろうか。いやそんなことはないだろう。わたしは激しく(?)抵抗したわけだし、それなりの嫌な思いはしたにちがいない。自分の思い通りに相手を従えたいとまったく思わないが、相手の思い通りになりたいともまったく思わない。おたがいがなるべく気持ちよく生きていける方法はないのだろうか。
 今日は空はぐずついているが、こころのなかのもやもやはだいぶ晴れた。図書館で借りてきた本「幻想の重量 葛原妙子の戦後短歌」を読み続けている。三分の二を読み終えた。葛原氏が詠んだ戦前戦中の短歌は他の日本人と同じように戦争を賛美するような気持ちが詠われている。その歌が戦後を迎えどのように変わっていくか。その変わり方、変わるための方法論の模索が具体的な短歌を追って書かれている。葛原氏の代表作と呼ばれる歌が歌われるまでの方法論の深化の過程は読んでいてわくわくするような体験である。


 この家のどこにも隠れていない犬 鬼のわたしは探し続ける

 藻のなびく水に目高はもぐりゆきわが目も水にもぐりて追へり