猛暑日5日目

 老犬ももこはこの家に来てから、わたしの生活サイクルにあわせて早朝起きるようになった。朝の散歩は5時前後。4時半過ぎになると、もそっと起き上がり、わたしのほうに歩み寄る。その前にわたしが起きているかどうか横になった状態で確かめているのがわかる。顔だけこちらのほうを向くからである。
 ももこが起き上がるとよし散歩だとわたしも起き上がり、すばやく準備して外へ。数日前から早朝の空に残月が眺められる。ももこを連れて眺める残月はわたしの胸に刻まれる。今日は早朝から空気が重たく熱気を帯びていて、さわやかとはいえない朝だがそれでも朝は一日の始まりだから無事迎えられたことを喜んだ。
 昨夜はわたしそろそろ眠りにつこうかという時間、10時半ごろにももこがはあはあ息をしながら起きてきて、わたしの横に横たわった。暑くてたまらないという様子。胸の上下が早いので心配になった。冷蔵庫から保冷剤を持ってきて、バンダナに包んで首に巻いたり、冷やしタオルで手足の裏を冷やしたり、大きな保冷剤を持ってきて氷枕のようにももこの顎の下に置いた。しばらくすると呼吸が落ち着き、眠りについたがこちらが眠れなくなった。小一時間起きていて眠った。
 今日の東京は猛暑日連続5日目で、観測史上新記録だという。猛暑日が連続して4日続いたのは、2010年の夏だったとテレビで報じているのを聞いて、その年の夏を思い出した。父が6月初めに入院し、7月初めに退院するも3日か4日で再入院した。猛暑日が続いているときは、冷房が効いた病室に父がいた。あまり冷房がきかない家にいるよりいいかもしれないと思ったことを覚えている。そのときは退院したら家でまた前のように、とまではいかなくても、父と暮せることを信じていた。だがどんどん衰え、次に家に帰ったときはいつまで家にいられるだろうかという状態だった。、それでも1日が過ぎればまた1日と日を重ね、1日でも長くと思っていた。父は家で頻繁に痰の吸引が必要でわたしがやっていたのだが、その吸引のために管を4〜5か月分取り寄せた。だが2か月分しか使わず、父は逝った。残った管はわたしの思いだった。
 2010年の夏は桃色の夾竹桃が青空に映えて、その色が今もまぶたに残っている。もちろんあの夏は柴犬レオがいた。父を家で看ていたとき、入院した時、いつもレオがそばにいてくれた。青空を背景に咲く夾竹桃を見たくなかったので昨年、低く剪定した。夾竹桃はレオが亡くなった後の夏にも咲き、その光景が残っている。

夏の花壇
日日草、カラミンサ〈ミントの香りの葉っぱ、白い小花)、ジニア、トレニア、ラベンダーなどが
植わっている
春に植えたグラジオラスの球根から元気な葉っぱが伸びたが花芽が上がって来ない

ももこの名前に因んで選んだ桃色の日日草

今年はいままでいちばん鷺草の花がきれいにたくさん咲いている
2007年に小さな鉢植えを買い求め、そのまま放置して、2010年から球根の植え替えをした
植え替えても一本も咲かない夏があった
レオが亡くなった年だった