お墓参り、家の片付けなど

 一日中,雲が多い天気だった。気温は昨日と同じくらい。今日は母の月命日。6年10か月になる。朝は小雨が降っていたのでどうしようかと思ったが、天気が回復してきたのでお昼前に近くのお寺に行った。
 花は庭の小菊と千日紅、まだ咲いている百日草をそれぞれ数本切って持って行った。この前にお供えした花の中で、アルストロメリアがまだ元気だったのでいっしょに手向けた。
 行きは柴犬レオと同じ名前のダックスフンドを連れた奥さんに会って少し立ち話。帰りはそのご主人に会ったので、途中まで話ながら歩いた。
 家に帰り、居間に落ち着くと、レオが晩年をよく過ごしていた居間の続きの広縁がなんとなく寒そうに見えた。庭に面した4畳半ほどのフローリングの部屋に、レオのためになればと思って、滑らないように正方形のジョイントマットを敷き詰めてそのままにしてある。足元が覚束ないレオの爪の跡がマットにぶつぶつと穴が空いたように残っている。何とか足を踏ん張ろうとしたのか、痛々しいほどの跡が殆ど床の全面に残り、壁際はひときわ爪痕が多い。暑い夏、あたたかい春秋はマットの感触が気持ちいいが、気温が下がると寒々しく感じる。
 レオはもういないのだが、レオの思い出と自分のためにカーペットを敷こうと思い立った。
 廊下の端の納戸に、家で行った母のお葬式のときに2日間だけ使ったカーペットが仕舞われている。8畳ほどの大きさのカーペットは半分に切って、レオがいるとき広縁に敷き詰めたが、おしっこが沁みて匂いが付いたので破棄してしまった。その半分が残っているのである。
 納戸を開けて奥のカーペットを引っ張り出すとき、他の収納物も外に出した。その中にわたしのノートが何十冊もあったが、箱に入っているノートのいちばん端を見ると真っ新なノートだった。あれ!と思い、その横を見るとこれも新品、その横も。計5冊の使っていないノートが見つかった。もう一つのノートの束はひもで括ってあり、ひもをほどいて確認すると、2冊の使っていないノートを発見。そのうち一冊は、表紙に鮮やかな花模様の紙を窓のような形に貼り、「レオ ノート2010年〜」と緑色の油性ペンで書いてあった。中は一文字も書いていない。
 その前年の2009年、レオが高熱を出して獣医師に危ないと言われた。そのことがあり、回復した後もレオの体調を心配して、日々の様子を記録しようと思ったのかもしれない。ただ、2010年は父もわたしも救急車で病院に運ばれた年で、父は半年余り入院して医師から何が起こってもおかしくないといわれた。年末に家に戻ってきたが2か月弱で帰らぬ人となった。そんなことがあったので、レオのことをノートに書き留める余裕がなかったのだろう。
 わたしの記憶によれば、2010年からレオの脳の異変が顕在化した。突然、スイッチが入り走り出すことがあった。そういうときはわたしもリードを手に持っていっしょに走ったものである。小走りに散歩するレオを見て、年をとっても元気ねと言われたことがよくあるが、あれは元気というより脳の異常がなせることだった。
 もうひとつ、なつかしいものを見つけた。郷里に住んでいた亡き父の妹(わたしにとって叔母)から父宛に送った宅急便の送り状である。昭和61年と書いていある。父は叔母が故郷の味覚を送ってくるのを楽しみしていた。凍り豆腐や天然の舞茸、蕨などの山菜、ときには山鳥の肉もあった。
 父は自分で料理して、母やわたしに「どうだ。おいしいだろう!」と食べさせてくれた。
 


黄色の千両が色づいた


日陰に植えた千両の実もだいぶ赤くなった