夕暮れを寂しく思う

 晴れてさわやかな風が吹き渡る日。今日の空を見上げることがなかった。頭の中はツツジの剪定のことでいっぱい。隣家の境に植えた6〜7本のオオムラサキツツジをなんとか剪定し終えた。朝早くと夕方の2回にわけて。
 朝早くはお隣の敷地に入り、長くて重たい木製の持ち手の昔ながらの剪定鋏を上に持ち上げるようにして(ツツジにしては樹高が高いので〉、枝先を刈り込んだ。この作業はすごい重労働で20分ほどで息が切れたので、切り上げた。その後、しばらくして庭に出て、久留米ツツジの剪定をし、さらにグラジオラスの球根を植えたがこれでダウン。家に戻って横になり、眠ってしまった。
 午後は起きて短歌集を読むなどしたが、夕方に陽射しが落ち着いたので庭に出て朝の続きというか、仕上げをした。こんどは脚立に上り、上から木を見下ろす感じで剪定鋏を使ったがこっちのほうがぜんぜん楽だった。重たい鋏を上に持ち上げ、枝を切るのはこの年では無理だとわかった。
 今日の庭仕事をすべて終え、新聞の夕刊をひろげると、世界最高齢のラクダが昨日、38歳で死亡したとのこと。日本の青森県の牧場で生まれ、神奈川県の横浜市にある動物園で死んだ。
 種としての生まれ故郷である砂漠を見ることなく死んだラクダに思いめぐらせ、人間に飼育される動物の受け身の生を思った。わたしの愛犬のレオも、自分では家族(飼い主)を選ぶこともできず、受け身の人生だった。
 まだ日が残っている外に出て、生前のレオとよく行った近くの用水路まで歩いた。川沿いのソメイヨシノは青葉を茂らせ、夕暮れのここちよい風にそよいでいる。レオとよくここで過ごしたなと思うと涙があふれてきた。昨年の今頃はこの用水路までも来られなかったかもしれない。いや、ここまで抱いて連れてきてもうずくまっていることが多かったように記憶している。そんなレオをわたしは何とか歩かせようとしたこともあった。そんなことをしなければよかった。レオはただ生きているだけで大変だったのだ。レオのことを思うと、今も心の中は悔いだけがある。
 こんな気持ちのいい夕暮れ、レオがいないことを寂しく思った。



花穂が青く染まってきたベロニカと
その上に薄いブルーのカンパニュラ
ベロニカの左横には昨年から咲いているビオラ
白い菊のような花のノースポール


カワラナデシコの花がぼちぼち咲いてきた