亡くなった柴犬レオの毛が・・・・・・

 午前中は陽射しが降り注ぎ、まぶしいほどだったが、時間が進むにつれて〈午後からだと思う〉雲が出てきて、ちぎった綿のような雪がちらほら落ちてきた。雪は数えられるほどまばらで、いつのまにか降りやんだ(テレビを見ると、他の地域では一時かなりの雪が降ったようだ)
 今日は燃えるゴミを出す日なので、庭の落ち葉などを掃除していると、何かが入った半透明の袋を見つけた。わたしの部屋の外の濡れ縁の近くだ。最初、2階に住んでいるこどもたちが落としたものかと思い、手に取ると袋の中には昨年6月に亡くなった柴犬レオの毛が入っていた。
 レオがいた頃、庭に出て、よくブラッシングをした。ブラシについた毛を袋に入れて、ゴミとして捨てていた。たぶん、この袋もそのときのものだろう。後で捨てようと思いつつ、そのへんに置いておいたものだろう。それが今朝、突然どこからか出てきた。雨の日も嵐の日も大雪の日もあったが、袋はまったく汚れていない。まるで、さっきレオのブラッシングをして,取った毛を袋に入れたみたいに見える。もしかしたら、この袋は部屋の中にあったのかもしれない。部屋の中でもブラッシングをしたことがあるから。
 部屋の中のどこかにあった袋が、何かの拍子に掃き出しのガラス戸から外の濡れ縁のあたりに出た。
 袋に入ったレオの毛を見て、レオとの日常の細部がよみがえってきた。亡くなる半年前くらいからか、シャンプーがほとんどできないレオの毛がだんだんごわごわしてきて、毛玉ができそうで、せめてブラッシングをまめにしようと思った。レオを抱きかかえるようにして、腕で身体を支えながらブラッシングすることも多かった。元気な時よりブラッシングをするのが大変だったと記憶している。
 袋の中のレオの毛を見ていると、手のひらにレオの身体の重みや毛の感触、あたたかさがよみがえってくるような気がした。

お昼近く、車で図書館に行き、取り置きしていた本を一冊借りてきた。栗木京子さんの「しらまゆみ」という歌集だ。2006年晩春から2010年早春までの作品440首を収めてある。父母と柴犬レオがまだいた頃から母が亡くなり、父とレオとの生活を続けていた頃に重なっている。あの頃のわたしは何を感じていただろう、どんな毎日を送っていただろうと思いながら読んでいる。


朝早くの花壇
忘れな草が青色の小花をたくさんつけて
花首を少しずつ伸ばしている

光が強く、花の色が飛んでしまった