珍しい訪問客

 といっても人間ではない。野鳥である。
 先週ひどかった風邪はこじらせることなく、順調に治っているが体調がいまいち。今日は月2回の生け花教室の日だが休んでしまった。花材だけは受け取りに行き、生徒さんたちにあいさつして帰ってきた。
 居間の掘り炬燵に座っていると、掃き出しのガラス戸の向こうに見える色彩感の乏しい冬の庭に突然、鮮やかなオレンジ色がやってきた。植木鉢に植えたサクランボの木の枝にスズメより大きめの野鳥がとまっている。胸の毛色がオレンジ色で、寒さのせいか毛がふくらんで丸く見える。そんなに長くは止まっていなかったが、珍しい訪問者に無聊を慰められた。 
 柴犬レオがいるときも、庭で一度見かけたことがある。そのときは飛んでいる姿を見たので、オレンジ色の残影だけが残った。今日はしっかりとその姿を目に焼き付けた。
 今週も週末は大雪の予報となり、高校時代の友だちと自由が丘で会う約束を来週に延期した。実は先週の金曜日に約束したのだがそのときは雪ではなく、わたしが風邪をひいてしまい、同じ曜日に延期した。こんどは大雪の予報が出たので延期、来週は三度目の正直で会えるといいのだが・・・・・・。

 柴犬レオが亡くなって2月15日で8ヶ月になるが、やっとレオがいない家にひとりでいられるようになった。死んですぐの時は、家にいるのがつらくて早朝から外に出て歩き回った。お昼ご飯を家で食べることが辛く、近所の店に足しげく通った。レオの幻が家の中にも、家の外にも見えて苦しい日々が続いた。そんな時間をよく持ちこたえてきたなと今になって思う。夜は夜で、早く眠っても朝まで何回も起き、ときには夜中に起きて何時間も眠れないこともあった。それでも毎日生きているしかない。そんな感じだった。
 その時に比べると今はだいぶ落ち着いてきた。憑かれたようにレオの幻と外を歩き回ることもなく(時々歩くことがあるが)、家にひとりでいることもふつうにできる。
 だからと言ってレオのことを忘れたわけではない。家にいればどの部屋にもレオがいるように感じることがあるし、ほとんどの部屋に置いてあるレオの写真によく話しかける。寂しさは変わらずある。ふと気づくと、レオがいないことがずしりと胸にこたえる。
 一日が終わり、自分の部屋に戻ると、レオの仏壇に「今日も一日が終わったね。お疲れさん」と話しかける。レオがいた時も、いっしょに部屋に戻ってレオが気持ちよさそうに眠っているのを見て、一日が無事に終わったことを安堵した。そういう一日を重ねて、最後の日が来たのだ。
 わたしの中ではまだレオとその続きをしているような気持になることがある。