上野にターナー展を観に行く

 晴れた冬の寒い日に、上野の東京都美術館ターナー展を観に行った。来週の水曜が最終日で、混み合っている可能性があるので午前中早目に行くことにした。
 家を出たのは9時半ごろだったように思う。JR上野駅の公園口の改札を出て、美術館をめざすが迷ってたどり着くのに少しばかり時間がかかった。館内はまあまあの混み具合だが、気になる絵は前に張り付くようにして観られるので早く来てよかったと思った。というのは午後2時半ごろまで館内にいたのだが、かなり混雑してきたから。
 ターナーという画家にそれほど興味があったわけではないが、もともと水彩画家としてスタートしたということを知り、しかも油絵だけでなく水彩画作品もかなり展示していることを知り、興味がわいてきたのである。
 かなりの充実した内容の展示で、ターナーの全体像がつかめるようになっている。油絵の作品にも印象的なものがいくつもあったが、わたしがじっくり観たのはやはり水彩画の展示。鉛筆、水彩、ときにはグワッシュやペンとインク、チョークを使って描いている。白い紙に描いた絵と、グレーやブルーの紙、下塗りした紙に描いた絵があり、それぞれ違う雰囲気が表現されている。
 例えば晩年に近い時代の作品だと思うが、ヴェネチアを描いた水彩画の連作があり、白い紙に描いたものとグレーの紙に描いたものでは表現された世界がまったく違う。グレーの紙に描くと、日没の雰囲気と、栄華を極めた海洋国家ヴェネチアの没落が濃厚に伝わってくる。
 晩年になるほど、対象物の輪郭が薄れ、光と色彩の中に溶け込んでいく。いちばん最後の展示作品は「湖に沈む太陽」というタイトルの油絵だが、水も光もあたりの風景もすべて色の重なりの中に溶け込んでいる。目を凝らして見ると、なにやら建物の影のようなものが見えないでもないが、形あるものが色の中にとけこんだ世界だ。この絵が完成作品なのか、加筆する前の未完の作品なのかはわからないと解説に書いてあった。
 目蓋を切り取られたレグルスという軍人が、太陽のもとに引っ張り出され、目蓋を閉じることなく光を見て失明する寸前見た光景を描いた油絵「レグルス」は、あふれる光の残酷さにインパクトを感じた。ターナーにとって自然とはおだやかさ、優しさ、調和した美しさで楽しませてくれると同時に、突如牙をむく激しさ、猛威を併せ持つもののようだ。荒れ狂う波、破壊する雪崩、嵐の前の空など、激しい自然を描いた絵も多い。
 またターナーの習作がかなりの点数展示され、水彩画の表現を試行錯誤したプロセスの一部がわかり、興味深かった。

日が落ち暗くなってから近所に買い物に行くと、東の空、上の方にコロンとしたかたちのお月さまが見えた。十三夜あたりだろうか。他界した柴犬レオといっしょによくこの月を見た。ちょうど夕方の散歩の時間に、空の上の方に出ているので、この月がいちばん印象に残っている。レオと月を眺めた春夏秋冬、なつかしい。明日はレオの六回目の月命日だ。



今日は写真を一枚も撮らなかったので、昨年の愛犬レオの写真を載せたい
この写真を見て、泣き出してしまった
昨年の12月、父のネクタイと緑色のウッドビーズ、発泡玉で作ったネックレスをしている