金木犀と眉月

 台風のせいか、気圧の配置のためか、蒸し暑い一日だった。しばらく朝の散歩をしなかったので、今日は夕方になって散歩に行った。でかけた頃はまだ日が残っていて、夕焼けに染まった鰯雲が空にひろがり、南の空に眉の形をした月が出ていた。
 歩き始めるとすぐ暗くなり、家々の灯りがともり始めた。母が亡くなった後、この灯りが目にしみるように感じられ、柴犬レオと散歩からの帰り途を歩きながら、一つ一つの灯りをかみしめるように眺め歩いていたのを思い出した。一人で歩く今はその灯りがいっそう身にしみてあたたかく、同時に寂しさも深くなった。
 街灯と家々の灯りだけの夜道を歩きながら、金木犀の香りがときおり鼻をつく。東京は今、金木犀の真っ盛り。この花は香りに包まれるという表現よりは、香りに酩酊するといった言い方のほうがふさわしい。暗くて木や花は見えなくなったが、強い香りの波が押し寄せ、金木犀の大木が近くにあることがわかる。
 南の空の眉月はシャープな金木犀の香りに合っていると思った。川向こうの高層ビル群が眺められるビューポイントまで歩き、少しだけ眺めて、家路についた。眉形の月は雲に隠れてしまった。
 家に帰り、他界した柴犬レオがつくづくかけがえのない存在だったといまさらのように思った。どんな時でもそばにいてくれた。何も言わないで受け入れてくれた。無条件の愛だった。これから、レオのような存在はわたしの人生に現われることは多分ないだろう。レオはこの世からいなくなり、骨だけをわたしの元に残した。このことがレオを哀れに感じさせる。生きている間、わたしのそばしかレオの居場所がなかったともいえ、亡くなった後もずっと離れられないような・・・・・。
 もし魂があるのなら、レオの魂は自由であってほしい。自由になり、それでも見守ってくれればうれしいな。ときにはわたしのそばにそっといてくれれば、なおのことうれしい。

庭の金木犀も満開になった




よく見ると十字形の花が愛らしい
緑の葉っぱとオレンジ色の花のハーモニーもいい