いけ花展を観に行く

 朝5時過ぎに起きたら、明るみはじめた空の真上に少しかけた半月が出ていて、星たちは静かに退場していた。この時間にこの形の月を柴犬レオがいた頃、何回も見たなと思った。
 昨夜は眠りにつこうと自室に行くと、天井近くの壁に手足の長い大きな蜘蛛がいた。ギョギョ、この蜘蛛は大の苦手、数日前も同じ部屋で見かけ、退治したばかり。毎年、夏になるとこの蜘蛛にいつも悩まされていた。1〜2回くらい部屋に出没する。2007年の夏は居間に出てきて、そのときは父が退治した。わたしはその場にいなかったが死骸を見つけて、母にそのことを言うと身ぶるいしてこわがった。父とレオがいた頃、わたしの部屋の壁に卵をうみつけられ、子蜘蛛が文字通り蜘蛛の子を散らすように白いボタン状のものから出てきたときは心臓が飛び出しそうになった。このことは以前、「白いボタンの恐怖」というタイトルで書いている。
 昨夜の話しに戻すと、ジェット式殺虫剤で退治はできたが、その部屋で眠る気がなくなり、仏壇が置いてある部屋(もとは父母の寝室)に、布団を持って引っ越しした。愛犬レオの遺骨やお供えした花、水、写真、お線香立て、お線香など一式も引っ越した。ちょうどいい台があるのでそこに置いていたものを移動させ、移動仏壇の出来あがり。部屋が変わって眠れるかなと思ったが、一度だけ起きたがすぐ眠りにつき、かなりぐっすりと眠れた。レオの遺骨を置いた仏壇は、心の安定剤みたいなところがある。その前でこんな小さくなったレオのことを思い、涙を流すこともあるが、気持ちが落ち着くこともある。

 午後からは恒例のいけ花展にでかけた。10年くらい前から縁あってこの流派の秋の生け花展に足を運んでいる。父が入院中に一度だけ行かないことがあったがそれ以外は毎年行っていた。以前は上野の松坂屋で開催したが、昨年から流派の本部ビルで開催するようになり、同時に規模も小さくなった。
 ほんの手すさびだが、いけ花をはじめたので、展示された作品を見る目というか見方が少しだけ変わった気がする。この花をこの葉とあわせるやり方もあるのかとか、花の解釈というか、その花をどう見せたいか、刺激になることがいろいろある。花や枝、実などを花材をオブジェとしてとらえ造形した作品もあるし、秋の自然の姿をその人なりに造形化した作品もある。どちらかというと、わたしは自然派かな。

 いけ花展からの帰り、最寄りの駅から家に向かって歩いていると、愛犬レオの晩年を思い出すような老柴犬が飼い主さんと散歩しているのを見かけた。おぼつかない足取りがレオを思い出させて、思わず声をかけてしまった。高齢の柴犬ちゃんですね。わたしもこの6月に16才になる柴犬を亡くしたのですが、顔の表情が似ていて、なつかしくなり声をかけてしまいました。この柴犬ちゃんは女の子で15歳になったばかりだそうだ。やはり、くるくる回るようになったが、リードをつければなんとかまっすぐ歩いて散歩できる。目が見えないので、狭い所などに入ってしまい、出られなくなり、夜中に泣くこともあるそうだ。でも食欲は衰えないで体重は保っているとのこと。
 まだまだ大丈夫ですよ。元気で長生きしてくださいね。レオの晩年の面影がある柴犬ちゃんに心からエールをおくった。飼い主さんはありがとうを何回も言ってくれた。


赤いケイトウを足元にあしらい、椿の枝と葉っぱと実で作り上げた作品
どのようにしてこういう形が出来あったのか、近寄って見ても
よくわからない
ただ、わが家の庭の椿に今年は珍しく実がついたので、興味を持った


赤いホオズキの実を生かした
秋らしい色彩の作品
緑色と赤色のバランスが素敵だ


赤い葉ゲイトウと、名前のわからない大きな葉っぱを組み合わせて
シンプルだが力強い造形


ハスの葉をワイヤーで支え、ハスの花びらを配した
自然の姿を大胆に解釈し、表現した作品
色あいのハーモニーも素敵