横浜能楽堂で雅楽を観賞

今日は少し蒸すが、夏の勢いは衰え、秋が勝利をおさめたような、そんな朝だ。今朝はまた3時過ぎに目が覚めてしまい、眠ろうとしたが眠れず4時ころ起きた。まだ暗いが近くの用水路に行ったり、パソコンを立ち上げて、ご無沙汰しているブログのお仲間を訪問したりして時間を過ごした。
 TVをつけると、2020年の夏期オリンピック開催地の投票結果が発表される直前で、そのまま見ていると、現会長に四角いカードを手渡され、カードの面を返すと「TOKYO]の文字が見えた。東京に決定だ。画面の中では全身で喜びを表す日本人の関係者たち。喜びのあまり、泣き出す人もいる。
 前回の東京オリンピックは中学生の頃だった。あれから長い時間が過ぎたと感慨深い。わたしは何をしてきたのだろう、という思いもある。単純に中学生の頃はよかったなという思いもある。
 開催地が東京に決まったからには、やはり応援したい気持ちもある。言霊というくらいだから、言葉には力がある。前向きな言葉を発したい。戦争が終わった混乱期を脱し、高度成長時代に入った頃、前回の東京オリンピックは開催された。父母たちの世代は戦争の辛酸を体験し、復興後の日本の経済成長を担った人たちだ。高度成長の果てにバブルの時期を経てバブル崩壊となり、現在に至っていると思うが、日本がなんとかいい方向に向かうことを望んでいる。福島原発の汚染水の問題を根本的に解決することにいち早く取り組んでほしい。


 横浜能楽堂雅楽を観賞したのは昨日のこと。日本とベトナム雅楽が長い時を経て再会し、横浜の能楽の舞台で演奏会を開いた。雅楽はもともとは中国からベトナムへと伝播し、さらにベトナムから日本に伝承したようだ。いや、中国からベトナムや日本などアジア諸国に伝播し、さらにベトナム雅楽も時代を変えて日本に伝えられたのかもしれない。なにしろ、日本の雅楽ベトナム雅楽の影響を色濃く受けている。
 ただ、楽器の構成や形態はだいぶ違う。ベトナムにはいろいろな弦楽器があり、その音色に聞き入ったが、今回の日本の雅楽には弦楽器がなかった(琵琶などの弦楽器は日本の雅楽でも使われるようだ)。
 今回の日本の雅楽は、今回はベトナムから伝わり、日本で独自の発展をした曲を奈良の「南都楽所」が2曲演奏した。ベトナム雅楽は「フエ宮廷伝統芸術劇場付属雅楽団」が演奏した。獅子舞のような舞いもあったが「麒麟の舞」というタイトル。極彩色の麒麟(日本で言う獅子舞の獅子を大きくしたもの)が2頭出てきて(二人の人間が中に入っている)舞うが、麒麟の赤ちゃんを出産するのには驚いた。桃の花をかたどった灯りを手に持ち舞う「花燈の御供」という舞いは優雅で幻想的ですばらしかった。
 フィナーレは、雅楽の創作曲をベトナム、日本双方の演奏者が合奏した。日本は笙(しょう)と、もうひとつが多分、篳篥(ひちりき)。ベトナムは琴のような弦楽器と打楽器など4種類の楽器が演奏した。
 この演奏会に興味を持ったのは昔、ベトナムに旅行したことがあり、古都フエを訪れたことがあり何かつながりを感じたから。


 他界した柴犬レオから毛を少し切ってとってある。その毛を入れてペンダントのように首から下げるカプセル形のものと、レオの写真を入れるハート形のロケットをネットショップで買い求めた。
 尻尾やお尻の部分、胸のあたりの毛を切った記憶があるが、金属製のカプセルにレオの毛を入れて首に下げると、レオがいなくなったことがいっそう心に沁みるような気がした。こんな小さな所にレオが入ってしまったということが胸にこたえる。ロケットには、レオが笑っている顔の写真をハート形にカットして入れた。
レオを身近に感じられるなら・・・・と思い、身につけている。