等々力渓谷の紅葉を観に行く

 晴れて風がなく、おでかけ日和の日。
 昨夜の老犬レオは夜中過ぎに一回起きたので、廊下に出したら、玄関の土間で用を足し、ほどなく眠りについた。朝はお昼前に起き、日差しがあたたかだったので家の前の道路でブラッシングをした。その後、少しだけ歩いたが、身体が傾いてわたしの脚に寄りかからないと立っているのが大変だったので、おしっこをしなかったが、抱いて家に入った。
 ソファの隙間に敷いたトイレシートで用を足したので、お湯で薄めた牛乳や今日はじめてのご飯をあげた。水菜、クレソン、セロリの葉を刻んだものとごはんを、牛肉でいためてあげた(牛肉の量が多い)。りんごのすりおろしたものを少々トッピング。ぜんぶ食べ、足りずにドッグフードも少し。
 レオの世話が順調だったので、出かける気になり、車で等々力不動へ。5〜10分程度で着いた。等々力不動の境内、等々力渓谷、渓谷の段差を利用した日本庭園(元は個人の邸宅&庭園だったものを区に寄贈した)はモミジの紅葉が見事なので、できれば観に行きたいとずっと思っていた。わが家のイロハモミジも色づき始めたので、たぶん、今が紅葉真っ盛りか、ピークを少し過ぎたあたりではないかと思い、思い切って行ったが、読みは当たった。
 ほぼ真っ盛りの紅葉が迎えてくれた。等々力不動の境内は、銀杏の落ち葉が敷き詰められ、代わりに紅葉が色づいていた。境内の下は絢爛としたモミジのタペストリー。
単純な赤ではない。黄色、山吹色、オレンジ、緋色、紅・・・・無限のグラデーションが葉っぱを彩っている。ため息がでる。
 燃えるような真っ赤な紅葉も好きだが、一色ではないモミジの紅葉は奥行きがあり、誘われるような感じがした。

等々力渓谷は東京23区で唯一の渓谷であり、矢沢川の流域に造られいてる。矢沢川は世田谷区桜3,4丁目付近にある荏原台地下の湧き水を集めて南東に流れ、下流1キロメートルほどの地点で急に南に流路を変え、等々力渓谷を形成して多摩川に注ぐ。全長5.8キロメートルほどの小さな川だ。
 日本庭園の頂上にある書院造りの休憩所で読んだ資料によると、等々力渓谷は矢沢川により自然に造られたという説と、人工的に造られたという説があるらしく、近年は人工説が浮上してきた。この資料を書いた方は、自然説を主張しており、なぜ自然に造られたと言えるのか、その根拠を資料で書き記している。ちょっと読んでみたくなったが、時間がないのでまたの機会にした。

等々力不動の境内もモミジが彩る

境内から階段を降りると、こんな風景が・・・・

上の写真の場所からの眺め

さらに下に行くとこんな感じ

ヤマボウシの葉が薄青い冬の空に映える

川をはさみ、等々力不動の対岸にある日本庭園の紅葉

日本庭園の上にある書院造りの休憩所からの眺める
イロハモミジ


夕方。暗くなってからレオにフリースを着せ、家の前の道路に出た。レオは調子がよくなく、わたしの脚の回りをまとわりつくようにくるくる回る。ミニチュアダックスフンドを連れた女性がレオを見て、この子のお父さんも同じようにくるくる回っていたのと言った。もう亡くなったようだ。見ていると思い出して涙が出てきちゃったと言って目を抑えた。
 その方が去った後、近所の高齢犬あやちゃん(10月末に亡くなる)の飼い主さんがやってきて、「今日はあやの四十九日なの。きれいなお花をいただいて・・・・」といって、お返しの品を頂戴した。ご自宅の庭になったゆずも添えられていた。最近亡くなったわんこのことなど、立ち話をしているととつぜん、激しい揺れ!家や電信柱、木が激しく横揺れしている。強い地震だ。駐車場に停めた車も激しく揺れている。心臓がドキドキし始めた。3月11日の揺れを思い出した。あのときはレオを部屋に置いて、わたしだけ外に飛び出し、部屋にいるレオが激しく揺れているのを外から見て、あわてて助け出した(レオは庭に面した部屋の庭近くに座っていた)。
 飼い主さんは家が心配といって帰ったが、その頃はおさまった。外にいてもこれだけ揺れを感じるとはかなり大きな地震だと思い、すぐ家に戻り、テレビで震源地を確認したかったが、レオがまだ外にいたそうなので少したってから家に戻る。
 昨年3月11日の地震と、震源地はどのくらい違うのだろう。だいたい同じエリアなのだろうか。これは余震と考えていいのだろうか。