魔法の鏡

 ほとんど歩かない老犬レオと駐車場でうろうろしているとき、ふいに荒井由実の「魔法の鏡」という曲が口を衝いて出た。「魔法の鏡を持っていたら あなたのくらし映してみたい」という歌詞で始まる。
 ごく若い頃はこの曲のテーマである失恋した女の子が、元彼のことを思って、どうしているだろうか、同じ空の下、暮らしているのだな、できるならまた会いたいなみたいな歌として、同じような気持ちになったこともあるかもしれなかった。なかったかもしれないが。
 ただ、今は(笑っちゃうのだが)魔法の鏡で天国にいる父母をはじめとした人たちの暮らしぶりを見れたらなあ、なんて思ってしまった。
 you-tubeで、荒井由実が歌っている「魔法の鏡」を聞いた。ナイ―ブな印象があった。初期の曲という感じ。編曲もあまり凝っていなくて、1970年代の匂いがした。あまり歌い方も上手ではないがかえってそれがよく、これを聞いていた頃がちらっとよみがえった。
 今日は朝が早く、まだ暗いうちからレオを外に出したこともあり、午後、昼寝をした。レオと同じ庭が見える部屋で。1時間くらいで目が覚めた時、時間が遡った感覚があった。昼寝から目覚めると、こういうことが多いのだが、5年くらい前、父母がいた頃に瞬間、戻ってしまう。父母がいた頃も、違う理由で夜更かしをして、ときどき昼寝で睡眠時間を補っていたことがあり、その頃に戻ってしまうのかもしれなかった。目がはっきりと覚めるに従って、ああいないのだなと現在の時間に戻る。目が覚めた瞬間、朝なのか夕方なのかわからないという話はよく聞くが、ふと時間が遡るのはどうなんだろう。
 老犬レオのことを考えた。レオは寝ているとき、手足を盛んに動かし、何かを追いかけている(追いかけられている)動作をする。これは若くて元気なころから変わらない。若い頃は夢の中で走り、目が覚め現実でも走っていたのだが、老いたレオは夢の中で走るが目が覚めたら走れない。
 もしかしたら、レオも目が覚めた時、元気なころに瞬間、戻っているのではないか。だが起き上がることもままならず、手足をばたばたして、起き上がれない。ああ、もう起き上がれないのかとがっくりするのではないか。あせるのではないか。トイレに行きたいときはなおさら。
 そうだったら、かわいそうだなと思った。わたしにはどうしようもできないが、起きがけのレオにもっと優しく接することにしよう。

 夜の散歩はやはり、家の駐車場だったが、月が凄味のある美しさだった。雲から透けて見える月、雲が切れ、深い夜空に輝く月。雲の形がまた迫力がある。
月は10日くらいから13日目くらいまでが安心して(おだやかな気持ちで)眺められる。
 今日のレオはやたら、狭い場所に入り込み、冷蔵庫の後ろの隙間にすっぽり入ったレオをみつけたときは、びっくりした。姿が見えなくて探すと、たいていどこかの隙間に入っている。小刻みに震えているし、様子がおかしい。

起きかけたレオ
本棚の下の段にはゴミ袋をかぶせた
そそうをしそうな場所なので


ハロウィーンはいつだっけ?
10月に入ってから植木鉢にピックを飾っている


今日のダリア
開きかけたが、花びらがあまり多くないようだ