あの夏の日

 朝から快晴で、じりじり日差しが照りつける。いちばん日当たりがいい場所に置いた、コンテナに植えた4株の朝顔の成長がおもわしくない。ここは早朝以外はほとんど日が当たるところ。西日も当たるので、植物には辛いかもしれない。朝顔は朝咲く花だから、早朝から午前中にかけて日が当たる環境を好むのかもしれない。最初は元気に葉っぱが出来てきてつるを伸ばしていたが、だんだん葉っぱが小さくなった、つるだけは伸びている。
 朝顔といえばもっと葉がいっぱい繁って、つるも伸ばし、葉の陰から花が咲く印象がある。葉ばっかり繁ってもしかたないが、小さな葉を見るとあまり元気がないなと心配になる。一株を一鉢に植え、行燈仕立てにした朝顔は親づる、子づる、孫づるまで伸ばして、葉もいっぱい繁らせ元気だ。
 老犬のレオが朝起きてからの用を足し、水もまあまあ飲み、朝ごはんもたくさん食べ、眠ったので、午後から予約していた美容院に車ででかけた。
 家から駅前までの短い距離だ。駅に向かい、濃い緑色の葉におおわれた銀杏並木を車で走った。近くで見ると連日の強い日差しで疲れが出ている葉が多い。
 この道を盛夏に通るたびに想いだすのは5年前の7月の終わり。その日は今日と違って、朝から激しい夏の雨が降っていた。その雨の中、わたしは母を車に乗せて、この並木道を通り、駅の向こうにある出張所に行った。
 母の妹が亡くなり、叔母には家族がいなかったので、兄弟が相続人となり、その手続きに必要なものを用意するためだった。
 親切な出張所の係員に助けられ、必要なものを手に入れ、帰りには雨は小雨になっていた。その足でランチを食べるためによく行く中華料理屋に寄った。着いたころはもう強い夏の日差しが出て、雨の水滴がきらきら光っていた。夕立の朝版みたいな雨だった。
 激しい雨の中、高齢の母(91歳)を車とはいえ、連れて外出することに不安があったが、帰り、雨が上がり晴れて、どこかでほっとしていた。そのときは母が翌年の1月に亡くなるとは夢にも思っていなかった。
 もちろん、この年になれば何が起こってもおかしくない、と本人も思い、周囲からも思われる年齢ではあったが、わたしは一抹の不安を憶えつつ、まだ元気だと思っていた。
最後の年に母が言ったいくつかの言葉から、自分の時間がもうすぐ終わると母は思っていたのではないかという気持ちもある。だが亡くなる3か月前、眼鏡をいっしょに新調したり、救急車で入院する4週間前は好きなお寿司を食べ、もう一人の妹がいる老人ホームに会いに行ったりもした・・・・・・もうダメかなとまだ大丈夫が母の中で交錯していたのではないだろうか。
 高齢になった母は自分でできることが少なくなってしまったがそれでもその環境の中で、毎日をせいいっぱい楽しんでいたと思う。やはり、いちばん思い出に残っているのは心から楽しそうに笑う母の笑顔だから。




今日の銀杏並木


熱帯花木ジャカランダの葉を下から撮影
真夏の空に似合う
押し花のように空に張り付けたい