春の嵐

 夕方近くになって雨と風が強くなってきた。5時ころ、いつもと同じように愛犬レオの散歩にでかけた。わたしはレインコートと長ぐつでガードしたが、レオはレインコートを着せようとする嫌がって暴れるのでいつものまま。大きな傘をさして雨を防ぎつつ、足の間にレオを入れて歩いて雨から守った。家の前で早めにおしっこをしたのでひと安心。すぐ家に帰り、雨に濡れた体をタオルでふいてやった。ただ、トイレが近くなったので夜寝る前にもういちど外に出してやらないといけないが、NHKニュースによるとあと5時間は激しい雨と風が続くと言っているので、いつ外に出るかが問題だ。最近のレオは前より歩かなくなったし、くるくる回ることも多いし、ぐわぐわと咳のような吐き気のような仕草をしてよだれを流すが、食欲はふつうにあるのでなんとかもっている。
 午前中は晴れていたので、レオとゆっくり外にいて、通りかかった近所の人と立ち話をした。以前はツゲの垣根があって見れなかったが、垣根を取り払い、駐車場を作ってからは庭が見れるので楽しみだとその人に言われた。時には駐車場まで入って、何を植えているのかなと見たりするそうだ。これを聞いて、庭を見て楽しんでくれる人がいるのは励みになると思った。何を植えようか考えるのは楽しいし、植えたり、植え替えたりすればきれいに咲いて苦労は報われるので、庭の仕事は自分だけのためでもじゅうぶんな満足がある。父母がいた頃、花木や植え木の手入れや剪定は父がやって、草花や球根を植えた花壇はわたしが手入れしていた。母は足が弱っていたのでショピングカートを押して毎日のように散歩にでかけたが、その行き帰り、庭や花壇に咲く花を眺めてよく「きれいだね」と言っていた。母のこの言葉が聞きたくて、わたしは花壇の手入れを励んだ。自分の楽しみも大きかったが母にきれいな花を見せたかった。母が亡くなってからは、どこかで見ているような、ときどき庭を訪れているような気がして、花壇をいつもきれいにしようと思った。だが、近所の人や家の前を通るだけの人でも庭を見て楽しんでもらえれば、母の代わりではないがやはり嬉しい。
 あれからずっと、心の中では母は庭を見てきれいだねと言っているのだが。

オカメ桜の花は下向きで愛らしい


いろいろな色のヒヤシンスが咲いた


花壇を後ろから写した写真


スイセンタヒチが咲いたが強風が心配