凍てつく朝の散歩

 朝食のパンを食べようと思ったら、老犬レオが玄関のたたきに下りて、散歩に行きたそうにしたので身支度を整えでかけた。朝7時過ぎのいつもより早い散歩だ。レオはこれまた、いつもより元気で、くるくる回ることは回るが段々調子が出てきて、住宅街をだいぶ歩いた。小学校の登校時間に重なったので、こどもたちと同じ方向にしばらく歩く。こどもたちは道路わきに寄せた雪が凍っているのを足で砕き、氷の石けりをしながら歩き進む。男の子は友だち同士で氷を回しあい、走っていく。女の子はいつものペースで歩きながら、友だちと氷を回しあう。自分のこどものときを思い出し、なんか安心したと同時にほほえましく感じた。こどもにとっては登下校の途中は遊びの時間でもある。わたしがこどものときはあまり遊び道具がなく、そのへんにあるもので遊ぶことが多かったが、今のこどもも身の回りにあるもので遊ぶのは同じだと思った。
 小学生のこどもたちと離れ、家の方向に歩き始めると、こんどは商店街を父親と小さな女の子が歩いていた。サイズの大きなダウンコートを着て、帽子をかぶり、長靴をはいた女の子は、道路の脇に寄せた凍った雪を靴で踏んで楽しんでいる。ゴリガリ、バリバリという氷が砕ける音も楽しんでいる風だ。父親は「もうやめなさい」とか言っているが、幼女は雪を見るたびに小さな靴を上下して踏んでいる。この女の子には自分の幼い頃を重ね合わせた。凍った雪や霜柱を踏むのが大好きだったのである。父親としては早くこどもを幼稚園に送って、出勤を急ぎたいところだが、こどもはどこにでも遊びを見つけてしまう。これはしかたがない。
 さらに行くと、ベージュのショートコートにグレーのパンツを合わせ、高いヒールの靴をはいた、出勤途中と思われる女性がカッカッと靴音を響かせて歩いていた。さっき会った小学生や幼稚園児の女の子たちもいつか、キャリアウーマンになって(その時代にはこの言葉は死語になり、他のことばが使われているかもしれないが)、こんなふうに出勤を急ぐ毎日になるかもしれない。そのころ、わたしはどんなおばあさんになっているだろうか。もし、この世にいればの話だが。