大きな昭和、小さな昭和

11月21日に立川談志師匠が亡くなった。
今朝、テレビを見ていたら、さまざまな著名人がその死を悼むことばを語っていた。
桂三枝師匠の「本当は・・・・・・・・・・・(かなり長い間絶句)・・・・死んだのがウソだと思いたいです」と吐き出すように言ったことば。
手で顔をおおっていた。本当に大切な人の死に対して、誰もが切実にこう思うだろう、究極の死を悼むことば。
さたまさしさんの「昭和を持って行かれた感じ」ということばは、心からそうだなと思えた。
立川談志師匠は大きな昭和だ。経歴を見ても、昭和という時代とともに成長したようなところがある。
高度成長期の明るさ、活力を具現しているところもある。
わたくし事だが、わたしの周りでは小さな昭和が少しずつ姿を消していく。
近くの商店街で45年も営業していたお店。
60年近く営んできた八百屋さん。
住宅街に昔からある家々。戦後すぐ建てられたような古い洋館。木造の古い家。
父と母も。
昭和という時代を持って、去って行った感じだ。