すみだ北斎美術館に行く

朝から青空がひろがり、気持ちのいい一日の始まりとなった。

 知人に勧められた北斎の展示会に今日こそ行こうと思った。新たに発見された北斎の作品が展示されているとのことだ。

 インターネットで調べると、すみだ北斎美術館で「北斎なりわい大図鑑」展が開催され、ここで今まで公開されなかった北斎の作品が展示されているようだ。

 午前中早めにでかけたかったが洗濯などをしているうちに遅くなり、お昼近くに家を出た。

 最寄り駅の大江戸線・両国までは2回ほど電車を乗り換えて着いた。駅から歩いて5分ほど。

 そんなに大きくないがしゃれた建物が広い公園の奥にあり、これがすみだ北斎美術館だ。デジカメを持っていたのに写真を撮るのを忘れた。

 展示会場は3階と4階でゆったりと鑑賞できた。

 蛤の入った籠を天秤でぶらさげた蛤売りを墨で描いた絵があり、これが初公開の絵のようだ。最初は蜆売りの絵を考えられていたが、籠の中の貝が白く描かれているので蛤売りと判断したとのことだ。

 江戸時代のさまざまな人たちの生業を描いた絵を葛飾北斎の作品を中心に展示されている。

 炭団作りをしている人の絵もあり、炭団が江戸時代から使われていたことを知った。わたしがこどもの頃も炭団が活躍していた。掘り炬燵は炭団で温めていたと思う。説明書きに昭和中期まで炭団が使われていたとあり、納得した。

 有名な富岳三十六景は、戸外で作業をする桶屋の様子を描いた絵がおもしろい。大きな制作中の桶の中に桶屋がいて、その遥か遠方に小さく富士がある。

 展示の最後に100年間行方不明だった北斎の絵が展示されている(実物の劣化を防ぐために精巧な複製で)。

 隅田川沿いの風景を細く長い紙に書いた作品で、隅田川とその両岸、浅草寺や回向院、見知った神社仏閣が描かれている。吉原の遊郭も描かれ、籠に乗り吉原に乗りつける客の様子がシルエットで記されている。絵の最後は吉原の内部、部屋で酒宴を楽しむ花魁と客が描かれている。

 このブログは夜書いているがテレビではすみだ北斎美術館を紹介する番組を放映している。BS11の「フランス人がときめいた美術館」で今回はこの美術館を取り上げている。

 北斎の暮らしぶりを再現した展示があるみたいだが、今回は見なかった。

 4階に展示されていた北斎漫画は復刻版の全15冊をざーっと目を通した。すごくおもしろい。蜂に襲われ、悶えている彪や、人間の4倍もの大きさがある象など。一人踊りの指南書もおもしろい。

 いつかもう一度、すみだ美術館に足を運んでみたい。

 

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アンネ・フランクの薔薇が咲いた

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日日草、朝顔、千日紅の種まき

やっと種まきをすることができた。

過去のブログを見るとだいたい五月はじめに夏~秋の草花の種蒔きをしていたので、早くしようとあせっていたのである。

 午前中は近くの特別支援学校のなかにあるカフェに行き、知人友人ととりとめのないおしゃべりを楽しんだ。校内の売店ではスナップエンドウを2袋買った。

 学校の帰り、少し回り道をして校内の菜園を見た。ジャガイモの葉が元気よく繁っていた。支柱に絡ませたスナップエンドウは葉っぱが枯れかけていて時季が過ぎたように見えた。

 種まきをしたのは午後になってから。

 ヨーグルトの入れものを鋏で小さな短冊形に切り、種をまいた花の種類を記すカードにした。

 まず老犬ももこがいた最後の夏の花壇で咲いていたピンク色の日日草の種を蒔いた。2016年、あの時種を採って、咲き継がせてきた。最初は2色の日日草の種を蒔いていたがひとつはいつのかにかなくなってしまった。

 できればこの日日草をこオリンピックの年まで咲かせたい。

 さらに昨年の夏咲いた朝顔の種と、ホームセンターで買った千日紅の種をまいた。

 千日紅の種をずっと買ってきたホームセンターがこの種を取り扱わなくなり、一昨年からストロベリーフィールドの種を蒔いたがうまく育てられなく困っていた。ちょっと遠くのホームセンターに行ったとき、千日紅の種を見つけて買ってきたのである。

 千日紅は柴犬レオがいたとき初めて蒔いた種で、レオがいる時、芽が出て喜んだのを覚えている。花が咲いたのはレオがいなくなってからだが、この花はどこかレオとつながっている。

 まだ蒔きたい種はあるが今日はこの三つで終わりに。

 種まきのあとは車に乗り、少し遠くのホームセンターへ。売れ残りのグラジオラスの球根を買ってきた。

 グラジオラスの球根は買う時期を逃すことが多く、昨年は買えなかった。今年はなんとか4つだけ買うことができた。

 

溶岩を並べて土を盛り椿ツツジ父はあまたの庭木を植ゑにき

 

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日日草は植木鉢の土に直接蒔いた、日日草は浅鉢にばら撒きした

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朝顔は色分けして種を蒔き、千日紅の種の残りはポット鉢に蒔いた

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ニゲラのつぼみがふくらんできた

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芍薬

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アンネ・フランクのつぼみ

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オールドローズのつぼみ

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鉄砲百合のつぼみ

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木立性のクレマチス

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スモモの実が大きくなってきた、小さい実は自然に落果するようだ

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剪定中のベニカナメ、脚立の奥が剪定済みで手前はこれから










 

 

 

 

  

短歌2首を投函、夕方はベニカナメの剪定を

朝は気温が低かったが暖房は入れなかった。

気持ちよく晴れて、青空がひろがった。新緑の庭を風がふきわたり、沓脱石に座り、ここちよい風に吹かれた。

 5月10日と11日必着の短歌2首をほぼ日中ずっと考えていた。

 この歌にしようと決めていた歌はあるが、気に入らなくていろいろ作ってみた。

 ひとつは「鯉」の題詠。鯉のぼりの季節だが鯉のぼりの歌ではなく、川の鯉を詠った。歌のかたちができてから何か所かの語句を変えた。 

 もう一つは自由詠で、午前中から午後にかけて新たに2首の歌をつくったが、それでもこれだと思えなくて、夕方近くになって作った3首目の短歌に決めた。この3首目の歌は以前詠った短歌を違う表現で歌い直したもの。

 それぞれ葉書と封書で投函した。封書のほうは千円の郵便為替を同封。

 家に戻り、考え疲れたので少し休んだが庭に出たくなった。

 そろそろ夏~秋用の草花の種蒔きをしたいと思ったが、気分的に細かい作業をしたくなく、ベニカナメの剪定の続きをした。

 繁るだけ繁った枝を大胆に切っていく。バサバサと枝を落としていくと、庭が明るくなり風通しもよくなる。透けた枝の向こうに隣家の庭が見えるように。

 あと4メートルのベニカナメの生垣を残して、夕方5時になったので剪定をやめた。切った枝は7割ほど片付け、残りは後回しにした。

 急いで買い物に行き、夕食の準備を急いだ。

 

薫風が吹きわたる庭わが犬と憩ひしときを今も忘れず

 

令和初の春の明治神宮記念総合短歌大会へ

 昨日は明治神宮参集殿で春の明治神宮記念綜合短歌大会が開かれた。早朝は小雨が降ったがすぐ止んだ。10連休最後の休日は曇天でお昼頃から晴れ間がのぞき、だんだん青空がひろがった。

 11時15分明治神宮参集殿に集合なので、10時45分頃、同伴してくれる歌友ふたりと原宿駅から近い大鳥居の前で落ち合った。

 受付で入賞者を表すブルーの徽章をいただき、ジャケットの胸につけた。参集殿で早めの昼食のお弁当をいただき、12時過ぎに明治神宮本殿へ。

 本殿に入る前に手を清め、さらに選者の先生4人と共に宮司さんのお祓いを受けた。

 本殿のなかは吹き抜けになっていて、大きな広間のようなところに左右に分かれ、向かい合うかたちで200名余りが椅子に座って参列した。

 奥に白木の神殿がある。

 献詠歌奉尊奉告式の開始を告げる太鼓の音が鳴り響く。

 全身をつき通す強く深く厳しさもある音に、心身にたまっていた滓のようなものが抜けて行くのを感じた。

 神主が祝詞を唱和するときは参列者も立って耳を傾ける。

 選者の代表が榊を神殿前に奉納するのだが、奉納した榊が風に飛ばされ、床に落ちた。新しい榊を宮司がすぐさし出し、代表の歌人がもう一度奉納した。

 榊をふわっとすくい上げ、床に落とした風が偶然吹いたものではなく、何かの手のように感じた。

 この儀式の全体に身が引き締まる思いがし、心身が洗い清められたように思った。

 参集殿に戻り、短歌大会が始まった。

 開会の辞の後、入賞歌発表、表彰と続く。

 特選10首、入選20首が発表され、表彰式はリハーサルがあったので事前の打ち合わせ通り行われた。

 壇上に上がったわたしは慣れていないので上がり気味となり、記念品を受け取り、壇上を降りる時、目の前に座っていらっしゃる選者の方に会釈するのを忘れた。

 その後は歌人島田修三氏にによる連続短歌講座で、テーマは近現代歌人の家族詠「窪田空穂ー人の親のかなしき心」。

 窪田空穂についてほとんど何も知らないわたしだが、島田氏の講演を聞いて空穂の歌を読んでみたくなった。島田氏が冒頭に紹介なさった空穂の最晩年の短歌2首はとても味わい深いものだった。

 ただ、マイクとご本人との距離が安定しないのか(近づいたり離れたり)、わたしの耳が遠くなったせいおあるのか、ときどきよく聞き取れないところがあった。

 講演後は佳作170首は歌会の出席者のみ、入選・特選は全作品の選評がおこなわれた。選者の秋葉四朗さん、木村雅子さん、内藤明さん、松平盟子さんが分担して選評、特選10首は秋葉四朗さんがなさった。

 ここで会はお開きとなり、選者の歌人および大会に出席された歌人を囲んでの懇親会が開かれた。月次歌会が開かれる社務所が会場で、丸いテーブル席にひとり歌人の方が座り、そのまわりに参加者やその同伴者が座った。

 わたしたちのテーブルは歌人の佐伯裕子さんが座られ、さきほどの短歌講座についてや、馬場あき子とさんや岩田正さんの歌集についてなど、さまざまな話をした。

 サプライズは入賞者代表4人のうちの1人として、短いスピーチを依頼されたこと。今回の歌会の感想や自己紹介を数分程度とのことで、自分でも驚いたが快く引き受けさせていただいた。

 さらに自分でも驚くことに、短く、ポイントを押さえてスピーチ(もどき)ができた。6年弱のわたしの歌歴、春秋の大会に歌を送るようになり2年半あまり、入選を知ったときの気持ち、入選作について歌が生まれたときの状況を短く・・・・・・・・。

 今振り返ると、短歌大会の感想とここに来られたことの感謝を述べるのを忘れていたようだ。やはり、少し上がっていたのだろう。

 いただいた食事は美味しく、いただいた赤ワインはさらにおいしかったが味わうゆとりがややなかった。会話やスピーチのことが頭にあったからか。

 

いたずらな神の手のごと風が吹き奉納の榊ふわと浮かせる

 

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向かって右に選者の方、左に選者以外の歌人の方が座られた、壇上の中央で記念品を受け取ったる

 

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今朝撮ったもの、芍薬が開き始めた

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薔薇の季節がやってきた

元号、令和になってまだ五日目。 

 季節は止まることなく移ってゆく。

 10数年前は薔薇の木を花壇に植えて楽しんでいたが、それらはいつのまにか枯れてしまい、今は地植えの薔薇が二本、植木鉢が2本だけとなった。

 残ったバラも元気のないものが二本あり、少し寂しい薔薇の季節。

 現代バラの”スブニール・ド・アンネフランク”は花壇に植えてあるが今年は蕾がひとつだけ。このままほっとけば来年までに枯れているだろう。

 この薔薇は二匹の犬、レオやももこがいた頃咲いていた思い出があり、父がいた頃も咲いていたので、さし芽をして次世代を残したい。さし芽が出来そうな枝が2本しかなく、うまく行くかどうか・・・・。

 もう一本の地植えの薔薇は父が買った鉢植えのものを、父がまだこの家にいるときに地植えにしたものだが、梅の木の陰になっている。梅の枝を切り詰めて、もう少し光があたるようにしたい。

 いちばん元気なのは鉢植えのオールドローズで、来年は植え替えが必要だろう。その前にさし芽をして増やすカどうか迷っている。

 過去の同時期のブログを読むと、何年か前の今日、朝顔や百日草の種を蒔いたという記述があった。そろそろ夏から秋に咲く花の種まきをしないといけない。

 

 午前中、二人の友だちとひとりの歌友に電話をした。友だちとの話はあまり楽しい話ではなかった。人間関係のストレスに弱いわたしは友だちとの距離の取り方を間違えると、心身の健康を害する。わたしと友だちができる限り健やかに生きるためにどうすればいいか。

 もう悩むのはやめにして自分のことだけを考える方向に行こうとも思っている。

 

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オールドローズのつぼみ、ピンク色がちらっと見える、光線の感じがすでに初夏

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アンネ・フランクの薔薇がつけたたったひとつのつぼみ

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近所の奥さんから枝をもらい、さし芽して増やした薔薇、植え替えをしたほうがいい

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父が買った薔薇、日陰でかわいそう

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午後は雷鳴を聞きながら、庭仕事を

午前中はいい天気でこのまま続くといいなと思った。

 昨日剪定したベニカナメの枝を片付け、紐で束ねたり、ゴミ袋に入れた。

 さらにベニカナメの剪定の続きをした。帽子を被り、日焼け止めを塗り,長袖での破けてもいいシャツを首元までボタンをしめ、ペットボトルの水を持って庭に出た。

 剪定鋏はふつうの短い鋏、刈込用の柄の長い鋏の2種類を使った。

 隣りの家の様子がわからないくらい繁っていたのが、透け透けになり、風通しよくなった。

 お昼前で剪定は区切りをつけた。まだまだ残りはあり、いちばん陽が当り、葉や枝の繁りが旺盛なベニカナメが10本以上ある。いちばん大変なところを残して終えた。

 昼食後、友だちより電話があり、しばらく話した。

 友だちのお母様の入院中で現在は症状は落ち着いて病院で軽いリハビリをしているようだ。退院後どうするか。友だちはさまざまな選択肢を考えてきた。

 ゆくゆくはグループホームを考えているようだが、実際いくつか見て回ったところは定員がいっぱいですぐには入所できない。一度家に戻ってもらい、在宅介護のためのサービスや、ショートステイなど利用できるものはすべて利用して、お母さまとの生活を続けていくことを考えている。

 わたしには友だちの話を聞くことしかできないので、こちらから電話をしたり、向こうから電話くれたりして、話を聞きながら父の介護でのわたしの体験なども話しながら友だちを励まし支えらればと思っている。

 電話を切り、庭に出て午前中剪定したベニカナメの枝を片付けはじめた。電話で話している時はまだ青空が見えていたのに、濃いねずみ色の雲が空をおおい、雷鳴が聞こえる。

 どのくらい遠くから聞こえるのか見当がつかない。近づきそうで近づかない雷鳴を聞きながら、剪定枝の片付けを急いだ。急に雷が近づきそうな気がして、雷に急かされるように。

 ぜんぶ片付け終えて、まだ雷は鳴り続け、家に入っても雷鳴は続き、少したって雨が降り始めたがそんなにひどい雨ではなく、雷鳴はいつのまにか聞こえなくなった。

 

小腹すきし母がにぎりき梅干しの小さきお結びふと思い出づ

 

わが視線気づきゐるらむベニカナメの初夏の繁りに鳥がもぐりつ

 

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鷺草の葉が大きくなった

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ここに植えて十数年のギボウシ

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こちらは植えて十年あまりのギボウシ

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けんめいに若葉をひろげるジャカランダ、20年以上育てている

 

ダリアの植え替え、ベニカナメの剪定

朝から晴れて一日天気がよかった。風がなく気温が上がったが長袖で過ごした。

 朝のうちに少し膝の調子が良くなかった。昨日の乙女椿の剪定が影響しているのかもしれない。脚立に上り、降りる時、注意して降りればいいのだがついそのことを忘れてしまう。脚立を使った翌日は、朝のテレビ体操のとき、膝が良くないと気づくことが多い。

 そんなわけで今日は庭木の剪定は休もうと思ったが、結論から言うと休まなかった。

 お昼前、庭に出て一向に芽が出ないダリアを植えた寸鉢を見ると急に、ダリアの球根がまだ土の中にあるのかどうか確かめたくなった。

 庭の奥のほうに鉢を持って行き、引っくり返すと球根(芋状のかたち)がいくつも転がり出た。球根が消えてなくなっているほうをを半ば以上予想していたので驚いた。

ダリアの球根は乾燥しやすいので早めに植え替えないといけないが、あいにく培養土がない。

 しかたなく車に乗り、目黒通り沿いの小さなホームセンターに行った。土を買うために。ついでに庭用の箒も買った。

 昼食前に鉢を引っくり返すなどしなければよかったが〈球根がなくなっているとほぼ思っていたので)引っくり返してしまった。15年以上前にいただいた球根をずっと咲かせてきたので球根が生き延びてくれたのはとてもうれしい。

 植え替えは昼食後すぐやった。

 弟がホームセンターから帰ってきたとき、ちょうど家にやってきたがあまり話しはしなかった。

 日が傾きかけた頃、また庭に出て、こんどは繁りに繁っているベニカナメを剪りはじめた。するとどこからか声が聞こえる。姿が見えないので空耳かと思いかけたとき、隣の奥さんの姿が見えた。葉っぱが繁り過ぎて姿が見えにくいが脚立の上にいたので見ることができた。

 いろいろ話しかけてくる。木の剪定中はあまり人の話は聞きたくないので適当に答えた。わたしが切った枝が向こう側に落ちるのを拾ってこちらに戻してくれる。思いきり枝をばさばさ伐ると、見ていて気持ちいいと言った。風通しがよくなったとも。

 このくらい透けて見える方がいいとも。

 われながら思いきって切った。隣の奥さんにも喜ばれるくらい。

 

体操せるわれを見てゐる写し絵の母はほほえみ犬はさびしげ

 

 

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芍薬のつぼみ、いよいよ大きくなった

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忘れな草は種をいっぱい作り、ニゲラはこれから花を咲かせようと草丈を伸ばす

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