大掃除をし、等々力不動まで散歩した

 昨夜は雨風が強く3時頃、風の音で目が覚めた。4時頃まで起きていてパソコンをいじったりしてまた眠ったので起きたのは7時半ごろ。
 日中はあたたかく、部屋の窓を開けて風を通したほどだった。雨風に倒された草花や鉢植えを元に戻したり、戻らないものはそのままに様子を見ることにしていかに強い風雨だったか目の当たりにした。
 午前中は思い立って仏間の掃除をした。父母の遺影が置いてある箪笥の上のほこりをきれいにし、遺影を入れた額のガラスもきれいにした。いくつかある箪笥の上に置いてある衣装箱のほこりをぬぐい、期限が切れた防虫剤を取り換えた。衣装箱のひとつに母の春夏物の普段着を入れたものがあるが、蓋を開けて中を確かめ捨てることにした。なつかしい服も何枚かあるがもう着ることはないし、どこかで思い切らなければいけない。
 もうひとつ、母の夏物の手作りのスーツを入れた箱もあり、こちらは捨てられなかった。スーツはしみもなくきれいに箱におさめられ、母がまた着ようと思ってしまったが何かあって着れなくなったというそんな感じが伝わってきた。もちろん母におこったことは思いあたることがある。
 さらにひとつ叔母の盛装の着物(結婚式にも着ていけそうな)が収めた箱がある。叔母の家があまり広くなくしまう場所がないというような理由で母が預かったもののようだ。紋織りの白地に青色でめでたい文様が着物の裾に入っている、シンプルだが華やかさのある着物で白地のところどころに茶色のしみが浮き出ている。そのしみを見てそっと薄紙でもとのように包みまた箱におさめた。叔母がこの着物をいつか着たのかどうかも知らない。どんな経緯でわが家に置いてあるのかもしらない。だがこの着物を見るとおしゃれだった叔母のことがその人生が偲ばれる。
 掃除をしながらいろいろ思うところも多いが、仏間の天井のほこりを払い、床にも掃除機をかけて掃除の仕上げをした。
 午前中、大掃除の前に浜松の友人に電話をして、送られてきた句集のお礼を言い、句会や俳句について話した。こんど東京に美術展や俳句の資料館みたいのを観に行きたいと言ったのでわたしも行きたいからいっしょに行きましようと答えた。
 午後も友人のひとりに電話をし、短歌の話や血糖値が高くなったという話をした。短歌の話をよくする友人はもう一人いるが、今日話した友人とははじめてだった。だが短歌について感じ方がどこかで通じ合うところがあり、話せてよかった。
 この友人のすすめで夕方近く散歩に出かけた。血糖値を下げるのは食事の工夫だけではむずかしく、適度な運動を組み合わせた方がいいと言われたから。
 等々力不動尊まで約15分、現地では冬の境内の景色を楽しみ、帰りも15分くらい歩いた。

 愛犬の写し絵に光と影あるを見て生きていたこと思ふ
 光があたり影ができるこの世に存在するとはこういうこと

 亡き母の手作りのスーツ着られる日待ちおるや長き歳月を
 来年は壊さるる家も朝日をあびて立ちおり千両の実ひかる

 紅葉が終わりし後の境内に数羽の鳩と枯葉ふむ音
 紅葉が散りし後の不動尊 視界がひらけ孟宗竹見ゆる
 いちばん大空に近いと言わんばかりの欅裸樹となりて
 湧水が粒となりてしたたりぬ苔むした岩肌のそこかしこ

古木の梅
太い幹には洞があるが頑張って生きている
父母の人生を重ね、自分自身の今も重ねている

冬空に浮かぶ小さな雲が好き