紋黄蝶

 昨夜はとても奇妙な夜だった。夕方6時から明け方の6時まで、老犬レオの様子が気になり、ずっともやもやしていた。12時間の間に5回、レオを家の前の道路に出した。夕方6時、夜10時、深夜12時、深夜過ぎ3時、明け方6時。その間、特に夜10時の散歩の後、レオはずっと興奮状態だったような気がする。
 夜の散歩は風が涼しくいつもより歩いた。ここまではいい。その後、ゆっくり眠るかなと思ったが部屋を歩き回ってなかなか眠らない。疲れていたわたしは10時半ころに床に就いたがもちろん眠りはしない。足元がふらつくレオは壁際や家具に身体をくっつけるようにして歩く。体を支えるものがないところは、夢遊病者のようにふらふらふらと心もとなく、次の壁まで最短距離を歩く。これを横になって見ているわたし。
 ときにはわたしの体も支えにする。足元を踏み越えようとして失敗し、ころんで足首を枕にしばし休憩、またガバッと起き上がり、こんどは胴体を乗り越えようとし、また失敗し、わたしの横に横たわる。このまま落ち着いてくれるといいが・・・・という期待をよそに、また起き上がり、顔を踏み越えようとするが今度はわたしに拒まれて違う方向へ。
 わたしとレオは8畳間と6畳間の続きの部屋にいるが、8畳間には低いテーブルが置いたあり、そこに入り込み、爪を畳にひっかけてすごい音をさせる。入ったものの出られないのだ。前足で必死にもがくが出られない、手を貸して出してやる。
 さっき夜の散歩の後、水をたくさん飲んだのでトイレかなと思い、道路に出すが立つのもやっとで、しなかった。家に戻り、しばらくして扇風機の横に倒れるのを防ぐため巻くように置いたタオルケットを枕に、レオは眠った。
 なんか夢を見ていたわたしが次に起きたのは3時。ケイタイで確かめた。レオが部屋を歩き回っていたのかよく覚えていない。ただ、こんどこそトイレと思い、また道路に出すとおしっこをした。
 今度はわたしが寝ている部屋の外の廊下にレオを出した。ここは庭に面した板の間に続き、まあまあの広さがある。別々に眠ろうという作戦。
 次に起きたのは朝6時、レオの泣き声だった。見に行くと板の間に置いた古いソファと硝子戸のすきま(といっても5センチくらい)に頭をつっこもうとして、立ったまま泣いている。
 トイレかも、とまた外に出すと、おしっこをした。お向かいの家の奥さんが歌を歌いながら、家の前の道路を掃除し、水をいきおいよくまいている。その家のおばあちゃんは、縦長のガラス戸を布切れでふいている。
 なにか違和感のある光景だった。起きる前に夢を見ていて、その余韻と眠気を引き摺っていたわたしは現実が現実のものと思えない。こんな朝早くから、元気だなあ。「おはようございます」と声をかけられ、あいさつを返したが作り笑いも出来なかった。

 すぐ家の中に戻り、今度はレオを玄関先に置きっぱなしにした。といっても扉を開けておいて、わたしが寝ている部屋に来れるようにしている。
 次に起きたのは9時。夢の中から覚めた。カーテンを開けると日差しが強い。
 レオは玄関のたたきのタイルの上で眠っていた。そのままにして庭に面した板の間から外に出る。
 朝顔はこんな強い日差しではあまりきれいでないかもしれないと思いつつ、メダカに餌をやり、朝顔を見に行く。水をやる。まあまあの朝顔だった。
 花壇の横を通ると、モンキチョウが飛んでいた。黄色い色が奇妙な長い夜のもやもやした余韻を少しだけ消してくれた。落ち込んだり、何か大変なことがあるとこの黄色いチョウチョウは姿を見せるような気がする。わたしにとって小さな希望の光。
 カラミンサ、パイナップルセージ、小菊・・・・・どれも香りのある葉っぱにとまる。香りに敏感なのだろう。


 昔観た映画に、夜、部屋の中に迷い込んできた紋黄蝶を、若くして亡くなった息子が姿を変えてやってきたと思い、夢中になって追いかけるという場面があった。この老母を樹木希林が、夫を原田良雄、兄の命日に妻とこどもを連れ実家にやってきた弟、良多を阿部進が演じていた。
 是枝裕和(これえだ ひろかず)監督『歩いても 歩いても』(2008年公開、そんな昔ではない)という映画だ。
 息子、横山純平は夏の海で、溺れた子供を助けて、自分が犠牲になった。母はその死をどうしても納得できない。助けられたこどもはもう成人しているが、毎年、命日に横山家を訪れる。老母はなんであなたが助かり、わたしの息子が死んだの、という態度をもろに見せる。
 「うちの息子が命にかえて助けたのですから、精一杯息子の分まで生きてください」などといっておさまらないところがすごい、せつない。大切な息子の命はなにものにもかえがたく、救われた命はある意味、息子の死をつきつける残酷な存在なのかもしれない。
 亡くなった息子の他に、良多とその姉(Youが演じている)のふたりのこどもがいて、結婚したこどもたちが毎年、家族で実家を訪れるのだろう。老夫婦だけの静かな生活は、孫たちの元気な声で一変する。おじいちゃんが大切に育てている百日紅の花がきれいで、孫たちは真夏の空に手を伸ばし、濃い紅色の花にさわろうとする。
 こども時代を過ごした家は、老いた両親と同じようにいろいろなところにガタがきていて、風呂場のタイルがはがれているのを見た良多(阿部進)が、家も両親も長い時間を経てきたことに気づくシーンはよかった。


老犬レオは玄関先に2時ころまで眠っていた。タオルに包んだアイスノンの枕からずり落ち、扇風機の風にあたりながら眠っていた。
起きるとすぐ外に出し、水を飲ませたが、わたしがちょっと目を離したすきに家の前の道路に出ようと、駐車場まで歩いていき、あわてて追っかけた。
からだを傾け、ひょこひょことした足取り(妙なステップを踏んでいる感じ)で、道路や駐車場を歩き回り、お向かいの奥さんに「まあ、レオちゃん、がんばんているわねえ」と言われた。
 朝ごはん(今日最初の食事)もたくさん食べた。これだけが救いかな。 
昨夜のレオは心臓をばくばくさせ、息をはあはあ切らせ、歩き回っていた。暑いのではなく、興奮状態にあるためだ。抗てんかん剤は、一日1〜2回飲ませている。獣医師は催眠効果もあると言っていたが、どんな薬にも反作用がある。父が飲んでいた痛み止めは飲み過ぎると、興奮状態になり、気が荒くなった。医師はアルコールのようなものといっていた。お酒を飲んで眠くなる人もいれば、陽気になる人、からんでしっつこくなったり、怒り出す人もいる。
 抗てんかん剤も興奮させるような副作用はないのだろうか。
 レオの様子をみると、どうにかしてあげたいが何にもできないのでもどかしい。


庭の通路で横になったレオ。昨日の写真


はけ雲がきれいだった、これも昨日の空