暑さが戻り、午後から歌会へ

 朝までのどに痰がからみ風邪が残っていたがいつのまにか治った。
 午前中は近くの特別支援学校に行き、校内にあるカフェで珈琲を飲んだ。店内が客でいっぱいだったので、今日はパラソルのあるテラス席に座った。いつもの友だち、知人が多く集っていたがあまり話すことができなかった。
 校内の売店にははたくさんの収穫したての野菜が並んだ。茄子、ミニトマト、獅子唐、トウモロコシ、ジャガイモ、ズッキーニ、キュウリ、シソとバジルの鉢植え・・・・・。とうもろこしとミニトマト、ナスを買った。
 午後から歌会があるので早めに家に帰った。風邪が治ったばかりなので、炎天下、坂を上って最寄りの駅まで歩くのはやめようと思った。バスで最寄り駅まで行くにはかえって歩くより時間がかかるのだ。
 いつもよりよゆうをもって武蔵小杉に向かい、10分余り前に会議室に到着。ゆとりをもってことにあたるのは体力がないときはベストなやり方と思った。
 わたしが詠んだ1首はベニチアの島、リド島の夏が過ぎた浜辺に波が繰り返し寄せていることを詠った。歌の中で「去る」ということばの使い方を間違った。古語では去るは近づいてくることと過ぎさることの相反する意味をあらわす。「夕去れば」は夕方になれば、夕方が来れば、という意味であることを思い出した。知識としてあっても実作に活かせなかった。がっくり。
 もう一つの歌は庭のあじさいを詠んだ。

 水滴の化粧のごとし雨の朝つややかにあり庭のあぢさゐ  〈わたしが詠んだもの)

 先生はわたしの歌はあぢさゐに焦点をあてて詠っているが、雨粒に焦点をあてて詠うのもおもしろいとおっしゃって、次のように直された。

 化粧水のごとく雨滴の晶しかりけり朝の庭の花あぢさゐに

 「晶し」はすずしと読む。

 
 こんな歌も詠んだ

 バスが行く白く光れる道のさき入道雲のそそり立つ