柊の剪定など

 朝は晴れて風もなく、陽射しがたくさん降り注いだ。日中は暑いほどだったが午後おそくから雲が出てきた。
 少し前から身体が冷えて、朝方は薄いフリースを羽織ったり、一日中腹巻をしていたが、今日はさすがに身体が冷えることなく、庭師仕事に精を出すと汗が吹き出してきた。
 お昼前は近くホームセンターに車で買い物に行き、帰りはお寺に寄り、父母に手向けるお塔婆を受け取った。施餓鬼法要のお塔婆である。昨年、同じ施餓鬼法要のお塔婆を手向けてから一年ぶりのことである。柴犬レオが死んでから、父母の供養に気が向かなくなった。というより、お寺の法要に参列し、家に帰ったときレオがいないことが耐えられない。それで法要は出席できなくなった。だがお仏壇に花をお供えし、朝夕手を合わせているし、お墓参りには頻繁に行っているので、無理に行きたくない席に行くこともないと思っている。
 午後になり陽射しが陰ったので、庭に出て、葉っぱが痛んでぼさぼさの柊を剪定した。まず全体を短くするために刈り込んだ。次に短い剪定鋏で混み合っている枝を枝元から切り離し、まだ残っている痛んだ葉を一枝一枝切った。葉がぎっしりと密集して、しかも葉っぱの一部分が薄茶に枯れている柊がすっきりとした。木の向こう側が透けて見えるくらいになった。この柊は、花が咲くのを見たいと思って昨年は剪定せずに伸ばし放題にしていたが、咲きそうもなく、見た目がよくないので切ったのである。
 半分くらいまで読んでそのままになっていた『わたしの百人一首』を読み始めた。短歌は、読み手の人となりが三十七文字から立ちあがってくるところがすごい。その人が送った人生も歌に反映されている。

 庭臨む部屋に座布団敷いており老犬の魂(たま)を呼ぶかのように
 花菖蒲、刀のような新葉持て初夏の扉さくっと切り開く
 十字形の花びら白しドクダミの花咲く季節今年もまた
 亡くなりし家族の数だけ座布団敷く居間に吹き渡る五月の風

 百人一首には、恋の歌や相聞歌が多い。あれだけ自分の思いを出して、しかも格調高く余情を響かせて歌う古人にできれば会ってみたい。


色づいてきた紫陽花
絵筆で色づけしている途中で手を休めたみたいだ
こうしてブログを書いている間にも、絵筆は少しづつ
色をひろげていく


ホタルブクロが咲き始めた
下の細長い葉っぱはアガパンサス