山茶花の絵、こんな感じに

 早々と昨日中に山茶花の絵を完成させて、すぐ筆ぐるめで年賀状を作った。

 例年通りの手順だが、いつまでこれが続けられるか、続ける気持ちがあるかは分からない。来年の年賀状は何とか作り終えたという感じだ。

 

山茶花の絵をフォトフレームに入れた

 年賀状のデザインはほぼ例年と同じにした。絵をどれくらいの大きさに入れ込むか、少し迷った。最初は大きめに、思い直いしてやや縮小した。

 今日はほぼ一日、堀炬燵のある居間で本を読んだ。図書館から借りている、歌集ではない本だ。須賀敦子という作家の全集から『ユルスナールの靴』を読み終えた。半分くらい読んでそのままにしていたのを今日は読つないで最後まで読んだ。フランス生まれの作家、マルグリット・ユルスナール第二次世界大戦を経て、アメリカの小さな島に移住し、そこで生涯を終えるまでを作家の作品と、須賀自身の人生を絡ませながら語ってゆく。

 須賀敦子ユルスナールが30年あまり住んだ島を訪れ、またユルスナールの作品に登場するローマ帝国ハドリアヌス皇帝の足跡を訪ねるなど、旅行記的な要素も持っている。プロローグを含めて10編の文章で構成され、さまざまな側面からユルスナールと言う作家に迫っている。

須賀敦子自身が後書きで、「究極的には、作品を愉しみ、著者に興味を持つという、きわめて単純な発想がこの本を書かせたに過ぎない、とも思う。」と書いている。さらにヨーロッパに通算15年を暮らした須賀敦子の、ヨーロッパとヨーロッパ人についての、そして、彼らと私との出あいについての、私なりのひとつの報告書でもあるだろう、とも。

 読み応えがあり、イメージがさまざまにひろがっていく、すばらしい作品である。

 午後は歌友からラインがあり、短いやり取りをした後、急に眠くなり、仏間に敷いた布団に横になった。ぐっすりと眠ったようで、目が覚めた時、5時ころを指している時計を見て、一瞬早朝の5時かと思った。灯りがついている居間を見て、少しづつ記憶が戻ってきたのか、まだ夕方であることに気づいた。妙な寂しさが襲ってきて、短い時間だが父母がいる頃のことを思い出した。父母がいるときは、わたしがこの部屋で昼寝をすることなどありえなかった。この部屋は父母の寝室だったから(二人が亡くなって仏間になった)。

 柴犬レオや老犬ももこがこの家にいる時も、この部屋に布団を敷くなどほとんどなかった。犬たちの晩年は敷いた布団の上にやってきて、おしっこをするなど不具合があると思ったからだ。

 妙な寂しさにすっぽりとはまり込みそうになったが、夕食の支度を思い出して起きた。近所に買い物に行くなど、体を動かすことで妙な感覚が消えていった。 

 ただ、ふと思ったことは寂しさに包まれそうになった時、わたしには本当に会いたい人はいないんだなということだ。犬たちに無性に会いたくなった。